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小学校のころから吹き続けてきた二重奏 [オカリナの話]

小学校のころから吹き続けてきた
とても美しいハーモニーがあります。

オーロラ2.jpg

「リコーダーのためのアンダンティーノ」
だれの曲か覚えていませんが
メロディーだけははっきりマスターして
放課後にも学校帰りにも、オカリナで吹いていました。
リコーダーのための曲らしいですが
オカリナの丸い音のほうが心にしっくりきました。
あのころ、父に買ってもらったプリマ・マエストロを
いつもポケットに入れていて
吹きたいと思ったら、どこでも吹いていました。

本当に美しい曲です。

いつか二重奏の動画を作ろうと思っていましたが、
阿蘇の福山さん作の天オカリナと
南大阪の板東さん作の颯オカリナでハーモニーにしたら
イメージ通りにできました。

リコーダーのためのアンダンティーノ、私の演奏動画です。
Youtubeでご覧ください。↓
https://youtu.be/0bv0jLJoMtw

オーロラ1.jpg




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書道家の先生とお話して気づいたこと [オカリナの話]

昨日の記事で

ふとしたきっかけで知り合った

書道家の先生のお話をしました。



その先生と交流し、

いろいろ話している中で


私がこれまで信じて行ってきたこと

伝え続けてきたことが

本当に大切なことだったんだと改めて気づきました。




その書道家の先生は

ハンサムで明るい、とても素敵な印象なのですが


いろいろ話しているなかで、

見かけの明るい印象とは想像もつかないほどの

つらい少年時代を過ごされたことを語っておられました。



非常に貧しい家庭に生まれ、お母さんは小さいころに出て行かれ、

ひねくれていた学童時代。


しかし、

そんな中で書道に出会いますが

型通りの字を書かず、自分の好きなように書きまくっていたある日、

書道の先生と意気投合して、書道に打ち込みます。


先生はその後、学校教師になり、

書道を通じて、いろいろな学生の教育に専念されます。


そのときのお話もとても興味深く、



書道をつうじて

字の書き方だけではなく

自分の中の何かを発見するお手伝いをしている

というお話にとても感銘を受けました。



私が福祉活動の中でいつも目標にしている

「エンパワメント」に通じる見方があると感じました。



先生は言われます。

「学校教育に全力を注いできましたが、

そこに自分のやりたいことの限界を感じました」

と。


昨年、退職を決意され、

独立して、書道を通じた「自分探し、夢の実現」

に全力を注いでおられます。



私がこれまで訴えてきたことがあります。

人は

どんな障害やハンディがあっても

どんな境遇や環境にあっても

どんなに高齢であったりしても

夢と自由がある。

夢と自由への道は、バリアフリーロードだということ。


私は

オカリナの音色を通じて

それを感じたいんだということ。

それに気づきたいんだということ。

それを伝えたいんだということ。




その思いに通じるものが

「書道」にあることを知ったこと、

その師範に出会ったことが

私は本当に心強く

嬉しく思いました。

ある書道師範とオカリナ好きとの出会い [オカリナの話]

先月のお話ですが、

ふとしたご縁で私は一人の書道家の師範と出会いました。



師範と言っても

長いひげを生やした大先生という感じではなく、

どちらかと言えば親しみやすい、

青年風のさわやかな先生です。



書道とオカリナ?

何の関係もなさそうですが、



実は私は

書の筆の運び、

その時、その場でしか現れえない筆の勢い、筆のリズムに

オカリナの即興演奏と通じる何かを感じるのです。




私は以前から

オカリナの即興演奏で

日本のこころ、やまとごころ を表現するというテーマに取り組んでいます。


「一期一会」を表現したくて、祈りながら即興で録音することが多いです。





オカリナでは

そのときの気持ち、

その瞬間にしか現れえない何かが、音であふれ出る一方で



「書」

では

筆を通じて

そのときその場でしか表しえない何かが

白い空間に出現します。



その書道家の先生は、



書道の仕方を教えるということだけではなく、

書を通じて、

自分に向き合う

自分を知る、

自分の自分にしかない夢を実現する

ということを目指しておられました。



そしてその夢を熱く語られました。



その気持ちに私は本当に共感したのです。



思えばオカリナも同じで、

オカリナはただ音楽を演奏するだけのものではありません。

オカリナは、たましいの言葉をしゃべる

口の一部だと思っています。



だから私は、オカリナを人に教えるときは

吹き方にこだわりません。

基本は当然教えてもらわないとできないこともありますが、

最低限の音階と運指をおぼえてもらったら、

あとは、曲になっていなくても

心行くまで吹きまくりましょうといつも言っています。


「書」も

「オカリナ」も


なにか

自由への入り口、

自分を解き放つきっかけ

そう言う力を持っています。




その可能性に私は

これからひきつづき、挑戦していきたいと思います。

世界にたった一つしかないオカリナ [オカリナの話]

オカリナは

土で作った笛です。

いわゆる、陶器の笛、焼き物の笛です。

(焼き芋の形をしていますが

焼き芋の笛じゃなくて、焼き物の笛です(笑))





オカリナは手作りの焼き物であり、

オカリナに適した粘土から

丁寧に手作りをして、

窯で焼くのです。

出来上ってきたオカリナは、

個性溢れています。


ひとつひとつ

音色も、響きも様々です。

低い音の得意な子もいれば

高い音の得意な子もいる。

ハスキーな子もいれば、

ヒバリのようにさえずる子もいる。


きれいにドレミの音階が出る子もいれば

すこし音程に癖のある子もいます。



人間と同じく、

そのオカリナは二つとありません。




そんなオカリナの魅力に魅かれて

本当に何年もたちました。


私の場合、

アンサンブル用に正確に調律されたオカリナよりも

少し音程が不正確で癖があっても、

私の手になじむオカリナが好きです。



人もオカリナも

世界でたった一人。

良い点もあれば、欠点もいっぱいある。

欠点がいっぱいあるから

親しみやすい。

そう思います。




私たち人間も

欠点がいっぱいあるから

安心できるんですよね。



欠点のない、聖人のような人の前では

私なんか緊張してしまって、声も出ないです。




そんな人間臭いオカリナ、

楽器店で買う時も、

友達を見つけるような気持で

何本も出してもらっては何時間もかけて吹いて、

気が合いそうなオカリナを見つて友達になります。



ある店では

数時間ねばったこともありました。

店員さんも親切で、本当に気が長くて感心でした。


吹かせてくれない楽器店は私としてはNGですね。



こうして

これだと思って

見つけ出して出会ったオカリナは

世界でたった一つのオカリナになって


これからずっと一緒に生きていくことになるのです。

バンコクで「サワデ・カップ!!」 [オカリナの話]

前回は
アレキサンドリアでのオカリナのエピソードをしました。

言葉の全く通じない私と、
スラム街の人々の
心をつなげてくれたのは
一本のオカリナでした。


今日は
場所が変わって
東南アジアのタイに行った時のお話をしたいと思います。


いつもポケットに忍ばせているオカリナが
大活躍した話です。


20代のころ、友人だった留学生のおうちに遊びに行こうと思って
タイに行きました。

そこでは
日本では考えられないような
オープンな雰囲気に驚いたのです。

あのとき、
友人である留学生の車で
首都のバンコクから
口外にあるリゾート海水浴場の「パタヤビーチ」に移動していたのですが、

道中で結婚式が開かれているのを発見したのです。

それで
運転していた留学生の友人が
「いこう」と言い出しました。

「おいおい、全く知らん人の結婚式だぞ」
とためらう私に、


彼は
「いいんだ、いいんだ、
サワデカップ(こんにちは)と一言いうだけでオーケーだ!」
と、言います。


そういうわけで、
見ず知らずの人の結婚式に飛び入りで参加しました



日本から祝福に駆け付けてくれたと紹介されたようで、

何かやってくれと言われ、
ポケットからオカリナを出して

(なぜか、いつもオカリナだけは持っているのです)

「もしもしカメよ」と「浦島太郎」を吹きました。

これが非常にウケて

日本のポップスは乗りがいいな

(ポップス?)

ということで、もっとポップスを吹いてくれ
と言われ、

ノリのいいポップスを吹いたら
最新のポップか?

と言われ、

あげくのはてに
ステージにあげられてしまい、

生バンドの伴奏で
日本の歌謡曲を吹きました。

(なぜか当時 
ちょっと昔の日本の歌謡曲がはやっていて、
タイ語の歌がお店でも流れていました)


見ず知らずの外国人が
飛び入りでステージで歌い
ご馳走をバクバク食べるなんて
日本では考えられないですが、
驚きました。


まったく
彼(結婚式場に突然いっしょに乗り込んだ友達)には
何の準備もなく急な展開をさせられることがしばしばあるから
困ったものです。



あくる日、
「仏教は心が優しくて面白いぞ」
と彼が案内するままに、

バンコクの「ワットアルン」という寺院に行きました。

そこには川が流れており
川のほとりで男の子が

カメやら金魚のような魚やらを
袋に入れて売っていて
それを観光客が買って、
川に逃がしていました。


話によると

生き物を逃がしてあげるということは
仏様に喜ばれる功徳だそうで、
みんな喜んで、男の子から魚や亀を買って逃がしていました。

私なんか、
いいことしたさに
10袋買って、川に逃がしてあげました。

その直後、
その男の子は
逃がした所からすぐ下流に行って
ちゃっかり
その魚や亀を網で捕まえて
また売っていました。



タイでは
挨拶する時、
合掌するのです。

彼の友達夫婦が、1歳の娘さんを抱っこしていましたが、
私がにっこりと笑って顔を見ると
その子が両手を合掌して挨拶してくれました。
きっとお父さんお母さんのしぐさを見て覚えてるんでしょうね。

可愛くて可愛くて、たまらなかったです。



彼の説明では、

「相手の人も仏様だから、
合掌するんだ」

ということでしたが

まさに
「万人悉く仏性あり」という
お釈迦様の教えが、
生活の中にしみ込んでいる美しい国だなあと思いました。


オカリナの話しのつもりが

話がそれましたが、

私はこういうことがしばしばあるので、
ご容赦ください。

また明日も記事を書きます。

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アレキサンドリアでの思い出 [オカリナの話]

オカリナが友情を結んでくれたエピソードのなかでも
忘れられない思い出があります。

それは、私が学生のころ、
船でアレキサンドリアに入港したときの話です。


上陸後、私は現地のシスターに案内してもらって、
あるスラム街のお宅を訪ねました。
ここで見たこと、体験したことが
いまだに忘れられません。


訪れたところは
トタン板やうすいブリキの板で作ったような
粗末な住居に何人もの人が住んでいました。


訪問したのは、
4畳ほどの小さな部屋でした。

そこには子どもたちを含む8人ほどが暮らしており、
雑然としたところでした。

狭い空間に大勢の家族、そしてイヌとネコとニワトリが
仲良く明るく暮らしていました。


日本では考えられない生活空間です。



言葉も通じなかったのですが、
子どもたちが部屋の上を指差しまた。

指差した場所
そこは
雑然とした部屋なのに
そこだけ美しく飾られ、
そこにはイエス・キリストの額が掛けられていました。


みんなは手を合わせました。
私も一緒に手を合せました。

とにかく言葉が通じないのでどうしたらいいか分からず、
私はポケットからオカリナを取り出して、
日本のうたといえば…と思い「ふるさと」を吹きました。


そうしたら、子どもたちは歌を歌ってくれました。
言葉も全くわからない歌でしたが、
みんな目がきらきら輝き、
はつらつと歌っていました。


あとから、案内してくれたシスターから聞きましたが、
歌の内容は
「イエス様がいるから何も怖くない、
イエス様がいるからどんな時でも勇気が持てる」
という内容でした。

私もお返しに、
オカリナで
フォークソングのゴスペルを何曲か吹き、
音楽で交流しました。



音楽はいいですね。
言葉などいりません。


音楽と笑顔と手拍子で、
お互いにうれしい気持ちになれました。

みんなで写真を撮ろうと思ってカメラを出したら、
みんな珍しそうに見ていました。

ここにはカメラはなく、
見たこともなかったそうです。

帰ったら写真を送るからと約束しました。

この体験を通じ、
私は見たこともないものを見た気になりました。


こんなに貧しくて、
「つらそうだ」と私が感じる住居街で、
みんなは「つらそう」に見えない。

光っている何かがありました。

私にもないし、日本ではなかなか出合えなかった何かが。



心が明るく豊かなのです。
みんな、生きていることに誇りを持っています。
ほんとうに
「生きるってことは、愛だよ。」というのは
まさにあの光景でした。

私は、もし家庭を持つならばこんな家庭を持ちたい、
持ち物がたとえ貧しくても
こんな心に富んだ家庭を持ちたいと強く思いました。





あれから何年たったでしょうか。
あの時見たものを、今も忘れられません。



オカリナが運んでくれたいろいろな友情、
いろいろな交流は
数知れません。


でもこれは
オカリナだけのことではないと思います。

私は、オカリナが好きだったから、オカリナが大活躍してくれました。

ギターが好きな人、
歌が好きな人
音楽でなくてもいい。
野球が好きな人
料理が好きな人、

なんでも
好きなことを好きなようにやる中で
国境も言葉も超えた何かが通じるはずです。


きっと
世界中の人が
心通じて
仲良く、楽しくなれる。


私は
今になっても
信じ続けています。


次回は
もう一つ、
外国でのエピソードをお話します。

「いいんだよ」そんな雰囲気が伝わるオカリナの音 [オカリナの話]

小学校4年生の時に父に買ってもらったオカリナ。


ほんとうに
運命の出会いでした。


その時以来、
オカリナはいつも友達でした。

心が疲れた時にも嬉しい時にも、
気ままにオカリナを吹いてきました。

オカリナと付き合って約40年になりますが、
オカリナには不思議な力があると思っています。



言葉がうまく話せなくても、
人と人が仲良くなれる何かがあるような気がします。


オカリナを吹いていると、
オカリナに「いいんだよ」と
言ってもらっているような気持ちになれます。

中高生の頃、ボランティア活動で、
敬老の日やクリスマス前後に、
みんなで歌を歌いに老人ホームをよく訪問していました。

そんなときに
ポケットからオカリナを出して
懐メロとか
童謡を吹いたのですが

オカリナを吹き始めると

老人ホームのお年寄りの皆さんが
とっても喜んでくださいました。

「忘れていた歌を思い出した」

涙を流す方もいました。




私は
歳に合わず、古い歌をよく知っていました。


一緒に行ったボランティアのリーダーが
「なんでこんな歌知ってるの?」
と驚いていましたが、


それには秘密が。


私は、いつも父の横で寝ていましたが、
父が
ラジオ番組の、懐かしのメロディーを録音していて
それをいつもかけながら寝るのです。

その歌を聴きながら
父はいろんな話をしてくれました。

その歌が歌われていた時代のこと、

歴史のこと、

日本の伝説や民族伝承のこと



おかげで

小中学生ながら
古い歌を知っていたし、
歴史や
伝統文化についても
いろんな雑学をおぼえていました。

こういうわけで
ボランティアで老人ホームに行った時なんかは

オカリナで昔の歌を吹いて
楽しいひと時を過ごせました。


このことは
実は今も続いていて、


福祉の専門家として働いている今でも
オカリナを吹いては
お年寄りとなごんでいることがよくあります。


認知症の方のおられるグループホームで
オカリナを吹いた時なんかは
わたしがイントロを吹くと
自然に誰かが歌い出して
いつの間にか合唱になっています。

歌詞カードもないのに、
みんな、自然に歌われるんですよ。

きっと
歌や歌詞は
忘れないで大切にこころに持っておられて
ちょっとした歌い出しのきっかけを
オカリナで吹いたら
思い出してみんなで合唱になるんだろうなって思います。

次回は
海外で起こったオカリナの出来事をお話します。

私とオカリナの出会い [オカリナの話]

● オカリナとはじめて出会った時の感動

小学校4年生の時に
はじめて習ったリコーダー。

楽譜がわからなくって
ハーモニカも歌も苦手で

遊んでしまって
カスタネットもトライアングルも
太鼓もシンバルも
ろくにできなかった私が

リコーダーなら面白く吹けたのです。

もう、
リコーダーを手にした時から

学校の休み時間も吹いていたし、
家に帰ってからも
テレビのヒーロー番組の主題歌を吹き、


リコーダーが面白くてたまらなかったあのころ、


あまりにもリコーダーを吹くので
父が見るに見かねて


ある日
本物の木のリコーダーを買いに
楽器店に連れて行ってくれました。


そこで巡り会ったのが

陶器でできた
可愛い鳥のような笛でした。

「これはかわいい、
吹いてみた~い」

と店員さんに言ったら、

「坊ちゃん、
センスいいですね」


にっこり笑って吹かせてくれました。

今までに出会ったことのない、
なにか、鳩のような、それでいてヒバリのような音色
「なつかしい」
そう思いました。

なぜ「なつかしい」と感じたのは謎です。

おそらく
何かの「デジャブ」だったのかもしれません。

● 吹き方はリコーダーに似ている


吹き方は簡単、
運指は少し違いますが
リコーダーを吹けたらすぐにマスターできます。

「お父ちゃん、木のリコーダーよりも
この小鳥のような笛がほしい」
とねだり、

陶器でできた本物のオカリナを買ってもらいました。


陶器のオカリナと出会って以来、
学校帰りに公園で吹いていましたが

それだけでは満足できなくなり
学校帰りの道で歩きながら吹き、

「あぶないからやめなさい」と
大人の人に注意されました。

それで
学校帰りの公園や川っぺりの堤防でも吹き
楽しい日々を過ごしていました。




こうして
オカリーナちゃんは
いつも私のポケットの中に
友だち として住みつき

何かあるごとに登場しては
おもしろい歌や楽しい歌や、
センチメンタルな歌を聴かせてくれました。

もう

そうですね

オカリナとのお付き合いは
40年以上になりますね。


次回は
オカリナの巻き起こしてくれた
いろいろなエピソードについてご紹介します。

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