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コロナウイルスと地震・水害・台風など災害避難が重なったらどうしよう(緊急投稿) [新型コロナウイルス暮らしの悩み]

昨日は関東で集中豪雨がありました。心配でした。梅雨前線の影響はこれからもありそうです。もし大雨洪水警報が出され、コロナウイルスの不安の中、避難所に避難したらどうすればいいのでしょうか?不安が脳裏をよぎりました。これから、台風や大雨、土砂災害も心配されます。私の住んでいる海岸や河川沿いも、大雨のたびに何度も被災しています。この記事は、そんな心配に何とか答えようと思い緊急に書きました。連載の途中での割込みになりますが、どうかいつでもサッと読めるようにブックマークし、いざというとき役立ててください。
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地震水害など災害が重なってしまった場合には



コロナウイルスが広がっている環境で、
大きな災害が重なり、避難所生活を余儀なくすることになった場合、
感染のリスクはさらに高まることが予想されます。
しかし、そのような環境に置かれても、最善を尽くすことが大切です。
特に、高齢者や、赤ちゃんや持病があるなど、免疫力の弱い家族を守ることが重要です。
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不安な時、何が何だかわからない時は、
ビブス(チョッキのようなハデな色の上着)を着用した避難所の職員に相談してください。
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避難所に避難する順序を理解しよう


避難所には、一般避難所と福祉避難所があります。
一般避難所は、学校の体育館などに設けられ、
福祉避難所は、医療・福祉的なケアが必要な人のために老人ホームなどに設けられます。
しかし、家族の中に要介護の高齢者の方や病気のある方がいる場合に、
通常、福祉避難所に直接には避難できません。
一般避難所にまず避難して、そこで必要性があれば、福祉避難所に移動します。
理不尽なことだと思います。
熊本地震では、一般避難所と福祉避難所に行く人の分類も困難なことも多くあったと聞きます。
これは、何とかしなければならない課題ですが、
現状のところ、
家族に要配慮の高齢の方がいる場合など
まず一般避難所に避難したのち、
市の職員に、福祉避難所への移送を希望するという手続きになっています。
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だから、
配慮が必要なことは希望してください。
先に書きました、ビブスを付けた職員に事情を話してください。
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病気や高齢なのに一般避難所ですごさなければならない時は



福祉避難所は、障害の重い人、本来入院している状態で医療が必要な人が優先されますし、
当然、コロナウイルスに感染していることが分かった人は専用の避難所に隔離されると思います。

しかし、障害があっても高齢でも、
免疫力が弱いまま一般避難所で生活を余儀なくすることになることは多々あります。
だから
一般避難所には、福祉や医療的配慮の必要な人が
一般の人と一緒になって生活している場合が多く、
そういう人たちには配慮が必要です。


特に、仮設トイレは重要です。
免疫力の弱い人は、一般のトイレと別にするよう配慮されると思いますが、
もし配慮がなかったら頼んでみる必要があると思います。
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感染予防だけではなく、心の面でも最善を尽くすことも大切です。
だれかがパニックになれば、

周りが騒ぎ出す、大声を出す、こうした状況で、
自分も騒ぎ出し、何をしているかわからなくなります。
将棋倒しなど、二次災害が起こります。
周りに気を取られず落ち着き、
係の職員の指示に従うことは、とても大切です。


一般避難所にいる災害派遣福祉チーム(DWAT、DCAT)に相談しよう



一般避難所の中で福祉や医療のニーズのある人には、個々の配慮が必要です。
そのために
各都道府県には、呼び方は「DWAT」や「DCAT」など様々ですが
「災害派遣福祉チーム」があります。
私も京都DWATの一員ですが
私たちDWATは、一般避難所にいて、福祉的配慮が必要な人の相談に乗り、
またニーズがあっても相談できない人を見つけ、
必要な配慮につなげるという役目を持っています。
また、日本全国から社会福祉士会、精神保健福祉士会、介護福祉士会、
介護支援専門員協会、看護協会などの有資格者が専門的支援に派遣されてきます。
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だから
一緒に避難してきた人や家族の中に、体が弱く免疫力が弱いなど、
感染防止について特別な配慮が必要な人がいる場合、係の職員に相談してください。
でも
避難所にはいろんな人が働いているので
だれがDWATなのか、誰が社会福祉士なのかわからないでしょう。
しかし、ビブスを付けた職員に尋ねましょう。
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「こうこう、こういう事情で、福祉(医療)のうえで心配があり相談したいのですが、
そういう係の人はどこにおられますか?」
と、ビブスを付けた人に一人と言わず三人、四人に聞いてみましょう。
一人に聞いてわからないといわれても、めげずに聞きましょう。

かならず、適切な係員につないでくれます。

自分の情報を書いた紙を作ると便利


災害の時、いろいろな職員に相談しなければならないこともあるでしょう。
普通の時よりも頭が混乱しているのに、同じことを何回も言うのは、きついよね。
それで、そのへんの紙でいいから、(なかったら職員に何か紙をもらって)
自分の情報を書いて持っておくととても便利です。

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飲んでるお薬を人に伝えられるように


特に、毎日飲んでいる薬がある人は、薬の情報は重要です。
糖尿病や通風、精神科・心療内科の薬など、薬を欠かすと体に影響が出る場合は
なくなったら処方してもらわないといけません。

でも心配しないで。
避難所には、医師、看護師をはじめ医療スタッフがいます。一般避難所にもいます。
申し出たら処方してもらえます。
そのときに必要なのが
あなたがどんな薬を飲んでいるかの情報です。
お薬手帳のある人は、いつでも持ち出せるように、
わかりやすいところに置いておき、
いざ避難となったら、薬と一緒に持ち出しましょう。 

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でも、あわてて、忘れてしまうこともあるでしょう。
そういう場合は、
どんな紙でもいいから、
薬の種類、一日に何錠いつ飲んでいるかを
メモ書きして、人に一目でわかるようにしましょう。
薬を切らせたときに処方してもらう際に、
その紙を見せましょう。

配慮の必要な内容について人に伝えられるようにすること


また、お薬のことに加え、
配慮の必要なことを大きく紙に書いて
人が一目でわかるようにしましょう。
そうしておかないと、いちいち説明する気力が続かないと思いますし、
いろいろな係員に同じことを何度も言っているうちに疲れ果てます。
「左足が不自由です」
「ペースメーカーをつけています」
「耳が聞こえにくいです」
「大きな声で発作が起きます」
「オストメイトが必要です」
「ゆっくり話さないとわからないです」
など。
認知症のご家族や、自分の名前を言えない小さいお子様などがおられる場合は
行方不明になったりした場合に備え
氏名や家族名、携帯番号などを書いた名札やカードを身に着けてもらうようにしましょう。
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本日は、コロナウイルスと災害が重なったら?というテーマでお話ししましたが、
次回は
避難所での暮らしのコツ、
また、ボランティアなどで避難所に行かれる、
「支援する」側の人へのツボをお話しします。

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コロナウイルスの時代の生活の悩み・不安の解決法(後編)~「たらい回し」を価値ある情報源に変える逆転の秘策とは [新型コロナウイルス暮らしの悩み]

今回の記事では、相談しても期待できる答えが返ってこなかった場合に、「たらい回し」と感じる現象を、どのように利用し、それをどのようにして有益なプロセスに変えていくのかを暴露します。ある思考とテクニックさえマスターすれば、「たらい回し現象」も、あなたにとって驚くほど有益な情報価値を生み出します。詳しくは記事の中で。

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「たらい回し」を回避する思考と相談の極意


これまでの記事では、質問上手になって相談し、
ポイントとなる情報を効率的に聞き出す極意についてお話ししましたね。
しかし、こうした相談技術を使っても、期待される答えが返ってこないことがあります。
その際に、ただ諦めるのではなく、質問を掘り下げ、
次にどこに相談すべきかを聞き出そうという内容をお話ししました。
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復習しますと、
相談前に、相談する先の対応範囲などを調べてあたりをつけ
質問や相談したいニーズをメモに書いておく

そして
相談の際には、そのメモを見ながら、限られた時間の中でも要点が分かるように
順序良く質問する。

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でも、期待通りの答えが返ってこない場合も、
感情的にならず
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それではどこに相談すればいいかなど、掘り下げる、
ということでしたね。
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でも、こういう事が数回続くと、
「これじゃあ、たらい回しだわ」と、
たらい回しにされている不安と不信が募るかもしれません。

しかし、ある思考を理解することで、
これは「たらい回し」ではなく、とても意味のあることに代わります。


「たらい回し」を回避するテクニックその1 状況の整理



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まず、相談していて、
これは「たらい回し」の状況になりそうだなと感じたとき、
その状況を、整理するのです。
整理するのに少し時間がかかる場合は、
沈黙していてもかまいません。

沈黙も大切なコミュニケーションなんだ。
5分くらいなら、少し黙って、
もしくは「ちょっと待ってくださいよー、えーっと、あーっと、うーっと」など
時間稼ぎをする。

そしてその間に、
たとえば次のような思考をして状況を整理する。

たらい回しになりそうな原因をざっくりと分析する。
例えば、
①  相談機関側の事情なのか
(例えば、専門家がいない、病室や医療器材などの設備不足、人手不足 など)

②  こちら側の事情なのか
(例えば、対象となる分野や地域が違う、先方の支援能力では難しいほど症状が重い など)

このように
相談自体の中で
自分も、相談員も困っている状況や、フリーズしている状況を整理しておくことは、
自分のためにも、
また、相談員がよいアイデアを思いつくためにも
非常に意味のあることです。

こうした分析に沿って、次は質問をするわけです。

「たらい回し」を回避するテクニックその2 質問をする


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このように状況が大まかに把握できたら、
「えーっと、
待たせて申し訳ありません。」
と、沈黙を破って、順序良く質問しましょう。

① の相談機関側の事情があるかもしれないこと対しては
例えば、
「今の現状の中で
環境や条件のそろった相談先はどこにあるんですか?
県内に、私のような相談内容で受け入れてくれるところはほかにありませんか?
もし、わからなければ、どういうところに聞いたら教えてくれますか?」

つまり、例えば(状況によりいろいろあると思いますが)
・ 今の状況で、設備やマンパワーがありそうなところ
・ 相談内容に応じた専門家のいるところ
・ 同じ法人の関連施設や協力病院はないか
などを、間を置きながら順序良く質問してみよう。                      

② の、相談している自分の側に事情があるかもしれないことに対しては、
例えば
「もしかしたら、私の情報不足からご相談が難しいのかもしれません。
どんな情報をお伝えすればいいですか?」
「もし私のケースが支援の対象じゃないのなら、
私のケースに対応できる相談先はどこにありますか?」

つまり、
・情報不足なら、何をさらに私はお伝えすればいいか?
・自分の住んでいる地域が違うのなら、私の地域の担当はどこか
・私の相談内容にマッチした分野はどの分野か
・内容がいろいろある場合、内容を箇条書きにし、それぞれに対応できそうな相談先を聞き出す

このように、整理して質問してみよう。

また、その相談機関や事業所で支援ができないとしても
何らかのアドバイスをいただけるかもしれません。
だから、その他、アドバイスはあるかを聞いておくことも大切。

また、即答ができず、検討や調査が必要な場合も多いものです。
そうした場合に、もし検討が必要なら検討後にあとで連絡を欲しいことを伝えましょう。
もしかしたら、より良い支援策が開けるかもしれないよ。

その際に、
いつまでにご連絡をいただけませんか?
ということをお伝えし、
昼間に連絡の取れる自分の連絡方法も伝えておき
(スマホがすぐに取れない場合は、留守電などを確認して折り返し電話することも。)
対応が延び延びになったりすることを防いでおく、
また、相談担当者のお名前をお聞きし、
次に連絡したときに話がスムーズに通じるようにしておくことが秘訣です。


「たらい回し」を回避するテクニックその3 次の相談先での展開方法



そして、
次の相談先を紹介してもらったら、
そこでも順序良く話をしましょう。

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まず、
最初に、先に紹介してくれた相談先と、
そこでの相談の経緯を簡単に説明しましょう。

例えば、
「〇〇(先の相談先)からご紹介いただきました。
こうこう、こういう理由で、先のところではご対応できず、そちらをご紹介いただきました。」

(場合によっては、先に紹介してくれた担当者が、事前に概要を連絡してくれる場合がありますが
それがない場合でも、
簡潔に最初に説明し、理解してもらうことで
相談の重複や、先に紹介してくれた相談先への「逆のたらい回し」を回避できます。)

そしてまた、メモを見ながら、次の相談先に順序良く話しましょう。

・相談したい内容の分野(例 自宅で介護している母のことです)
・状況の概要(短い1文で)
・今一番困っていること、助けてほしいこと
・その他困っていること、助けてほしいこと(簡潔に箇条分けして)
・今までに相談した相談先、同時に相談している相談先 (これを伝えることで、すでに相談して断られたところを取り次がれるなどの、無駄なやり取りを避けることができる)

そして
そこでまた断られても、「その2」のテクニックで、次の相談先を紹介してもらう。

こういう事が何回か続くとき
「たらい回しにされてるんだわ!」と
ふてくされた気分になるんだと思いますが

実は、思考と行動によって
これは非常に貴重なステップであることに気づけば、
あなたはすでに 「相談名人」です。

思考と行動によって「たらい回し」現象は質の高い情報を得るステップとなる



つまり、相談先で、対応できないといわれ、次々と相談していくことは
実は、「たらい回し」じゃなくって、情報収集のサイクルなんです。
このサイクルを重ねるほど、情報の質は高まっていきます。

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考え方の方向を変えることにより、
それは有益なものになるのです。
「たらい回し」というのは、マイナスの考え方であり、その思考から脱しない限り、
せっかく電話したり、足を運んだ行動を、自ら無駄な労力にしてしまいます。

しかし、視点を変えてみましょう。
一つ情報が得られたのです。
その相談先が、マッチしないこと、
その理由、さらにいろいろな周辺状況が
新しく得られたわけです。

つまり、相談して思った結果が得られなかったとしても

「それはより良い支援にたどり着くための
情報収集のステップなんだ。
相談員の方は、努力してくださったんだ。
その努力を無駄にせず、次につなげていこう。」

そう思考することにより、
あなたはマイナスと無駄のループから抜け出し
良い結果につながる「善因」を貯蓄することになる。

あなたの相談は
思考と行動により、意味のあるものに変わっていくんです。

点と点がつながる



ちなみに参考ですが
マッキントッシュのアップルコンピューターを開発した
故スティーブ・ジョブズさんは
スタンフォード大学の卒業記念スピーチの中で
「点と点がつながる」

という言葉を述べています

一見何の意味もないと思うような出来事と出来事があり、
その意味が分からなくても
未来で思い返すと
その出来事が互いにつながっており、
ああ、これらには意味があったんだなと、思い返されるということです。

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ジョブズさんは、学生時代、進級に失敗し学ぶ場を失ってしまい、ふらふらと歩いていた時に
カリグラフ(西洋の、特徴のある字を書くアート)の趣味の教室を見つけます。
何の目的もなくふらっと教室をのぞき、そのまま、一時期カリグラフを学びます。

あのとき
とんとん拍子で進級して、フラフラしていなかったら、
カリグラフに出会うこともなかったし、
そうしたら、今日のアップルコンピューターも存在しなかったと語っています。

つまり、
学生時代にはつらかった、進級できないという出来事、
そして、フラフラと歩いて何気なく出会ったカリグラフ
そのときは、何の意味もないと思っていた。

それが、
何年もたって
フォントという技術のひらめきにつながり
それが発展して、アップルコンピューターが創設されたというわけです。

だから、
失敗であっても
思うように事が運ばない状況であっても
何の意味があるのかと感じていても
これが、後になって何らかの結果に結びつく。
それが、今の時点では想像もつかなくても
結びついた未来に、ああ、あれはこういう意味があったんだと
わかる時があると思います。

だから
ガッカリするな。
あきらめるなよ!!

情報活動のサイクルとは



一般的に、新聞記者、社会学研究者、
さらに、刑事や省庁の情報担当者、企業の開発担当者など多くの専門家は、
一定のサイクルをもって、情報の質を高める活動をしています。

この記事では、
コロナウイルスに端を発した生活の悩みを相談するという主題なので
詳細の説明は割愛します。(また別の記事を書いて詳しく説明します。)

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概略はこの図に書いたとおりで、
何かに似ていませんか?

そう。
よく会社や企業で口を酸っぱくして言われる
「PDCAサイクル」に似てますね。
プラン(計画) ドゥー(実行) チェック(評価) アクション(見直し)
これを繰り返し、
上昇スパイラルに乗せていくことで、商品やサービスの質を向上させる。

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情報の質や正確性、利便性を高めていく活動も
こうしたサイクルで動いています。

だから、いろいろな相談先に相談し、
役に立つ情報を得ること、
また一方、支援してもらえないということ、
(つまり、利用できないということも一つの有益な情報)
これらは

あなたの行動の質を高めるサイクルなんです。

こうして
情報の質を高めていき、
有益な支援をゲットしようという作戦なのですが、

ネット世界にもリアル世界にも、
悪質な罠がはびこっています。
特に、心配と不安でこころが弱っているときは要注意です。

次回は、こうした悪質な罠を見抜き撃退するにはというテーマでお話しします。

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コロナウイルスの時代の生活の悩み・不安の解決法(中編)~相談しても期待どおりにいかなかったときにどうするか [新型コロナウイルス暮らしの悩み]

前回の記事では、メモなどに要点を書いたうえで、質問や相談上手になろうということをお話ししました。今回は、それでももし、期待通りの答えが返ってこなかったらどうすべきかについて、書きたいと思います。
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相談しても期待に応えてもらえなかった時の話し方のコツ



でも、
せっかく電話相談したのに、場合によっては
「当方では対応できません」などという答えが返ってくるかもしれない。
無気になって食いついたら、
相談を聞いている職員はかえって無表情になって
「当方では対応できません」と同じ言葉を繰り返すかもしれない。
それで
もしかしたら、
「ああ、相談しても無駄だった」
「結局どこも頼りにならない」などと心でつぶやいて
また一人で抱え込むという悪循環に陥ってしまいかねないんだよね。

あきらめず、感情的にならず、質問を掘り下げる



でも、
相談して期待通りの対応をしてもらえない場合でも、
「ああそうですか・・・」とあきらめちゃダメ。
「だめだ、こりゃ・・・。」とガッカリするのもやめよう。

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そして、感情的になるのも我慢しよう。
こういうとき、ともすると、「ううう」っとトーンが下がったり、
逆に、
「おえ、ちょっと待てよ、こっちは必死で相談してるんだよ!」など
逆上してキレたり、
横柄な口調や意地悪な口調になったりするかもしれません。
これをぐっと我慢して
(そう。ぐっと我慢するんだよ。(笑))

冷静に、質問を続け、うまく掘り下げていくことが大切です。

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感情的になったら、ろくなことがない(苦い経験から)



私がNPOのケースワーカーをしていた時の苦い経験があります。

私はかなり前、NPOで、
介護保険などの社会制度にうまく当てはまらない人
つまり、公的な支援の谷間にあって、助けてもらえずに困っている人を支援していたのですが、
そこで感情的になって苦い経験をしたことがあります。

個人情報の制限もあるので詳しくはお話しできませんが、

私の相談に対して、まるでシナリオを読むように「無理です」という病院のソーシャルワーカーに
いつしかキレていた苦い経験です。

キレているつもりはなかったのですが、
口調が意地悪になっていたり、
目つきが悪くなっていたんだと思います。

自分自身は見えないから、いつしかキレている姿も自覚できないのです。

NPOの事務所に帰って
主任ケースワーカーから注意を受けました。
「あなたの態度が悪いとクレームがあったわよ」

それで次のようなご指導をいただきました。

いくら正義の怒りがこみあげてきても、穏やかに、冷静に、温和に、
相手の言っていることをよく聞くこと。

「無理です」なら、なぜ無理なのか、
どういう条件がそろえばできるのかなど、
聞き取ること。

そこからまた情報が得られるでしょ。

社会を変えていくケースワークは
こころは熱く、でも言葉や態度は温和で冷静でなくちゃ。

そうしないと、
感情的になって関係が悪くなってしまうと、
つながりが築けないのよ。
とご指導いただきました。


(いまでは、
当時の私たちのような日本全国のNPOや篤志団体の積み重ねが実り、
法律が改正されたり、新しい支援制度ができたりして
公的機関も充実した支援に向けて努力するようになりました。
だからこそ、
困ったときは公的な相談機関に相談しようと言っているのです。)

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それにしてもあの時は
苦い経験をしましたが、
同時に主任ケースワーカーからの指導助言で多くのことを気づかせてもらいました。
だから私はアドバイスします。
期待できない答えが返ってきても
感情的にならず、意地悪にならず、

冷静に質問を掘り下げましょう。
じゃあ、いったい何を掘り下げるのというと・・・・

質問を掘り下げる内容とコツ



質問の掘り下げ方の内容とポイントとして
冷静になって、
口調やトーンもソフトに、

① ここで分からなくても、どこに聞いたらわかりますか?(連絡先も)
② ここでは、どこまでのことならできるんでしょうか?(対応の範囲)
③ できないことについては、どこに頼めばできますか?(他の支援機関・支援サービス)
④ 自分でするほかはない場合、よい方法や注意事項などアドバイスをもらえませんか?
⑤ いますぐ答えをもらえなくても、調べてもらったり、話し合ってもらって、あとで連絡を下さいませんか?(できれば「〇〇までに」連絡期日の約束も)

こういう内容を、次々に聞くのではなく、間をおいて
相談を聞く職員が考えるペースもあげながら、
ゆっくり順序良く問うわけです。

場合によっては、相談先の担当者が、話しながらひらめくかもしれません。
しかし、ひらめかなくても、多くの場合、適切な相談先を紹介してくれます。

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質問を掘り下げても答えが返ってこない場合



このように掘り下げても、まだ期待にかなう答えがない場合、感情的にならず、
感謝の言葉を述べて電話を切り、頭を切り替えて、
さらに適切なところに相談しましょう。

感謝の言葉と、苦労をねぎらう誠実な言葉は
とても大切です。

相談機関の方も人間です。
多くの相談にお疲れになられたり、ひらめきが鈍くならないように、
「ありがとう」の言葉でパワーを差し上げましょう。
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でも、こういう事が数回続くと
「たらい回しにされている」と感じるかもしれません。

しかし、ある思考を理解することで、
これは「たらい回し」ではなく、とても意味のあることに代わります。

次回は、何カ所かに相談に行って、どこでも納得できる答えがもらえず、
「これじゃあたらい回しだわ」と感じてしまったときの思考と実践について暴露します。

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コロナウイルスの時代の生活の悩み・不安の解決法(前編)~アイデアを引き出す相談のツボ [新型コロナウイルス暮らしの悩み]

私は社会福祉士として、介護のことや子育てのこと、障害のことなどの相談を受けてきましたが、今回の記事では、これまでの相談援助実践経験を振り返りつつ、コロナウイルス対策緊急事態宣言とその後の影響が長引くであろう社会問題の中にあって、相談する人の視点に立ってそのツボをお話しします。
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長期的なニーズを考え、相談上手になろう



前回の記事では、コロナウイルスによる社会問題を前にして、
私たちが心すべき3つのポイントについて、ざっくりとお話ししました。
一つは、一人で悩まないこと、
二つ目は、信頼のできる公的な相談機関に相談すること、
そして三つ目は、相談上手になろうということでした。

まず今回の記事では3つ目の、「相談上手になる」ための相談のツボについてお話しします。
そして明日の記事では、具体的な相談の実践を、
いろいろな分野での相談支援先の紹介も含めてお伝えしたいと思います。

コロナウイルス流行は、医療に関する問題だけではなく、
幅広い暮らしの悩みや未来への不安を生み出しています。
そして、この世界的なパンデミックに随伴してもたらされた、経済的変動は
私たちの生活を直撃し、
おそらく、医療的に感染の危機が去った後も、
長期にわたって私たちを苦しめるでしょう。

だから、相談ということには、
長期的なニーズに気づき、
積極的にいまの生活の問題に向き合い、
適切な支援や援助につなげていくという意義があることを
私たちは理解すべきだと思います。
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だから、これからも続く困難に対し、
その解決にあたって、より確実なアドバイスを得るために、
相談をする秘訣や考え方について考えましょう。


電話相談やメールをするときのコツ


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さて
「相談しましょう」と言われても、
「どう相談したらいいかわからないわ」
「何から切り出せばいいのかしら」

最初の一歩が分からず、
ついつい電話やメールの手が止まってしまうというのはよくあることです。
そこで、相談するときのコツに触れてみたいと思います。

あらかじめ、相談先の対応ジャンルを調べ、メモしておく


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相談先にはジャンルがあり、専門分野があります。
だから、
出来ればあらかじめ、
その相談先がどのような相談に乗ってくれるのかを調べ、
(もしくは市町村の総合相談窓口で、助言をもらい)

相談するジャンルとして
医療のことなのか、
生活費用のことなのか
子どもの就学のことなのか
介護のことなのか
仕事のことなのか
日本での在留資格のことなのか
その他
これらを明確にしたうえで、電話やメールでの相談先のあたりを
ざっくりとつけましょう。

細かく正確にする必要なんかないよ。
ざっくりでいいから
また、メモ書きは、自分が読める程度の走り書きでいい。
気軽にざっくりとあたりを付けましょう。

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また、そのうえで
① 今一番困っていること、緊急なこと、助けてほしいことは何か
② 急がないけれど必要なことは何か
③ そのほかに質問したいことの要点
に分けて

わかりやすく相談や質問ができるよう、メモ書きにしておきましょう。

そのメモをもって
相談電話やメールをする。

電話を受ける人も、声だけから話を聞かなければならないので、
内容は、ポイントがはっきりしていてわかりやすいほうが、
良いアドバイスを思いつきやすいということもあると思います。
(私自身、相談を受けながら思いつくということがよくあったから。)


質問上手になって、対話のキャッチボールをしよう



このざっくりした準備は、
「質問上手になろう」とよく言われていることに通じます。
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質問上手とは、
ただやみくもに聞くのではなく、
話のポイントをまとめ、そこに不足していることや
これが分かれば自分のニーズを満たすであろうことを
簡潔に相手に伝えることです。
それができることにより
相手からも伝えたいことを引き出すことができます。
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そして、自分の聞き出したいことと、相手が伝えたかった事がマッチしたら
「良い質問ですね」というコメントが返ってくるよね。
そうなると気持ちよくなって、
さらに質問を思いつく・・・(これ、私の悪い癖なんだけど)


つまり、
良い質問をして、相談相手の中にある宝箱から、
掘り出すように宝を引っ張り出すのが
この事前の、相談のポイントのメモ書きなんだ。
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相談の時、このメモを見ながら、
対話のキャッチボールの中でツボにはまる質問をしていこう。
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これがうまくいくと、
あなたと、相談相手の間で、意義のあるパートナーシップができ、
より良いアイデアがひらめくでしょう。
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また逆に、相談員からあなたに質問があるかもしれない。
その時も、簡潔に答えよう。
(もちろん、答えたくないことは答えなくてもいい。)

相談とは
ただ受け身で教えてもらうんじゃない。
一緒になって考えていく
これが実は 一番効果のある相談なんです。
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でも、
毎回、そううまく事が運ぶとは限らない。
やはり
期待どおりにいかないってこともあるものだ。

次回の記事では、
相談しても期待どおりにいかなかったときにどうするか
についてお話しします。


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新型コロナウイルスの不安と暮らしの悩み、生活ができない心配~一人で悩まないで [新型コロナウイルス暮らしの悩み]

新型コロナウイルスの不安が広がる社会では、病気自体の悩みや感染の不安のほかに、緊急事態宣言の継続等で長引く休業や休校、サービスの休止などが起こり、生活資金の問題、介護の問題、子育ての問題など、あらゆる暮らしの困りごとや生活の不安が出てきています。私の周囲ではオカリナ演奏家や音楽家の方々が多く、生計の柱が絶たれて困っている人も少なくありません。この記事からの連載で、暮らしの悩みや生活の不安への悩みなどを相談する相談先や、上手に相談するコツなどについて書きます。
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一人で悩まず相談上手になろう



困ったとき、悩みのあるとき、私たちはともすると、
どうしよう、ああしよう、こうしようと一人で悩み、
一人で思い込み、一人で狭い視野で決めてしまって、
詐欺や詐欺に近いアドバイスを信じてしまうなどの失敗に陥りがちです。
ここでまずお伝えしたいことは、
一人で悩まないこと、
そして、しかるべき信頼できる相談機関に相談することです。
(友達や親せきに相談するのもいいですが、責任のある相談機関に相談することが最も確実です。)

私は社会福祉士の一人として、相談援助をしてきましたが、
これからの連載記事では、
相談をする人の視点に立って
何もわからない状態からどのようにして相談したらいいか、
そして、限られた時間で効率よく助言を聞き出すには
どんなコツがあるかについて、書いていきたいと思います。
どうかあなたのお役に立てますように。

コロナウイルスに伴う生活の不安を乗り切る3つのコツ



まずは、コロナウイルスに伴う生活の不安を乗り切る3つのコツについてお話します。

まずは
1 一人で悩まない。
2 悩むくらいなら、信頼できる相談先に聞く。
3 そして相談上手になろう。
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これがあなたの生活の不安を軽減するのに役立つ3つのコツです。
今回はこの概略をお話ししますが、次回は具体的な方法をお話していきます。

一人で悩まない



一人で悩んでいると、
また、自分一人を悪者にしてしまうか、反対に他の人や会社に恨みを抱くということになりかねず、
こうなったらいいことは全くありません。
だからこそ、適切なところに相談することが重要です。(「適切なところに」の意味は後述します。)

よく、
自分がしっかりしていないから、こうなったんだと、
自分を責める感情が煮詰まってしまうことはよくあります。
しかし、生活の困難に陥っている自分自身を責めるスジアイは全くないからね。

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いいですか、
この生活困難は
社会問題です。
あなた自身の身の上に起こっていても、あなたの問題ではありません。

社会の問題が、自分自身の個人の上に噴き出ている現象だ。
社会の重荷が、あなたの上にのしかかっているんだ。
あなたは何も悪くない。

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よく、
公的な相談には、
「なぜもっとしっかりできなかったんですか」と言われるのが怖くて
行けないという声を聴きますが、

公的相談機関の職員にはそういう人は、まずいないから安心してください。
むしろ、大変な思いをしたあなたに共感し、ねぎらってくれると思います。

あなたは自分を責めるスジアイは全くなく、
あなたの暮らしを守ってもらう権利は当然ある。
これは日本国憲法の基本理念ですよね。

もう一度言いますよ。
コロナウイルスの影響であなたが生活に苦しむ状況に陥ったからと言って、
それはあなたが悪いのではない。
社会問題があなたという個人の上にのしかかっているんだ。
それを解決してもらう権利を、あなたも、わたしも、人権として持っているんだ。

また、一人で悩むと、不安と焦りが深層心理に蓄積し、
適切な判断の力が弱まります。
その結果、「思い込み」や「偏った判断」になりがちです。
特に、ネット上に氾濫している多くの情報には、ワナや、気づかれないセールスもあり、
悪い場合は「詐欺などの被害にあう」ということになりかねません。
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でも、必ず信頼できる情報源があります。

悩むくらいなら、信頼できる公的機関に相談する



次に、悩むくらいなら信頼できる相談機関に相談するということです。

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ネット上の、ワナや仕掛けの張られた情報には注意が必要とお話ししましたが、
一方で、ネット上にも、SNSの上にも、信頼できる、役に立つ情報が多くあります。
それは、公的機関や、公的機関からの評価を得た民間事業所の提供する情報です。

公的機関は
公的に認められた確実な内容を話してくれる(詐欺や売込みはない)
また、そこで援助が難しくても、力になってくれる他の公的機関や、
おすすめの民間機関を紹介してくれる。
公的機関は、「儲け」ではなく、しっかりした理念と倫理基準に基づいて対応してくれる。
たとえ匿名の相談であっても、あなたに対して責任があるから、いい加減なアドバイスはしない。

こういった安心があります。

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だから
相談先は、信頼のできる公的相談機関を選ぶべきであるというのが2つ目のポイントです。

もし、どこに相談したらいいかわからなくても
まずは、あなたのお住まいの市区町村の「総合相談窓口」に相談してください。
そこは、例えば大きな病院にある「総合診療科」とよく似たもので
あなたの悩みに、どの窓口に行ったらアドバイスできるかを専門的に考えてくれて、
さらに状況にマッチした窓口を案内してくれます。
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ジャンルごとの、相談先の探し方は、近日中に記事に書きます。

相談上手になろう



そして、相談に行ったら、
良いアドバイスをゲットできるように工夫しようというのが
3つ目のメッセージです。
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つまり、相談上手になって、いい情報を積極的に引き出すことです。

待ちの姿勢ではなく、
質問の達人になるのです。
聞きたいことを順序良く聞き出すってことですよね。
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一般に、相談を聴く側のカウンセリングやコンサルティングの専門家は
相談援助法をよく勉強するのですが、
利用側として相談する人はなかなか、整理して相談できず、
せっかくの時間と機械を無駄にしてしまうことが多いものです。

生きるってことは、愛だよ



この連載記事の最後に、あなたにぜひお伝えしたい言葉があります。
それは、

「生きるってことは、愛だよ」という言葉です。
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コロナウイルスの影響で、暮らし向きが大変で
心がクタクタになることが多いと思います。

でも
しっかり生きていきましょう。
それは、愛です。

私は、いつも必ず言い続けている言葉なんですが、
それだけ価値のある言葉だから、ここでもお伝えします。

私がホームヘルパーの時、
利用者であった90歳のご婦人が下さった言葉です。
「生きるってことは、愛だよ。
愛に格好も、体裁もないんだよ。
もし余命の少ない短い命でも、
また、100歳になっても生きなくっちゃいけない命でも
あなたの命
あなたしか生きられない。
誰も代わりに生きられないんだよ。
そんなに大切なあなたなんだよ。
だから
このいのち
生きて
生きて
生き抜こうね。
それが、
愛だよ。」

この言葉を
オカリナ演奏とともに動画にしました。
ぜひご視聴ください。
私が心を込めて、
大阪のオカリナ作家 坂東正裕さんの手作りの「颯オカリナ」
ピッチの違う3本のオカリナを吹いて一人で三重奏をした動画です。
https://youtu.be/CKLFiSBsMfA


この次の記事では
「相談する人」「相談先を利用する人」という視点に立って
上手に相談し、限られた時間で、効果的で適切な情報を聞き出すテクニックについて
お話しします。

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いのちの言葉「生きるってことは、愛だよ」~シューベルトのアベ・マリアともに [癒しのエッセイ]

「生きるってことは、愛だよ」この言葉は、私のキャッチフレーズです。
この言葉をくださった90歳のハナさん(仮名)は、全介助の重い障害の中で在宅ターミナルケアを受けていました。そして「生きるってことは、愛だよ」という言葉は、到底信じられない苦しみの中からいただいた言葉でした。この記事では、この言葉をもらった時のお話をします。

「生きるってことは、愛だよ」この言葉を紹介したくて、オカリナ演奏とともに作った動画がこちらです。
https://youtu.be/CKLFiSBsMfA

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曲は「シューベルトのアベマリア」のオカリナ三重奏と、これに続く即興創作演奏です。
オカリナは、南大阪に工房を持っておられる、板東正裕さんの作品
「颯オカリナ」のアルトC、ソプラノF、ソプラノCで演奏し、ミキシングしました。



90歳の友人との出会い


私は約15年前、思うことがあって、30代後半で福祉の道を志し、
ホームヘルパーになりました。

ホームヘルパーになったばかりのころです。
私はNPO法人(特定非営利活動法人)で仕事をはじめ、
できたばかりの介護保険制度における、
高齢者の方々のご自宅を訪問しての介護に取り組んでいましたが、
NPOでは介護保険制度では支援できない方の支援を行っていました。
その一つに
入院中の方の身の回りのお世話があります。
病院に入院したら、介護保険の対象にならず、
ヘルパーの派遣は制度上できません。(現在も同じです)
しかし、病院の看護師も、医療以外の支援まではできず、
本来は家族が付き添うことになりますが、
その家族も付き添えない方がおられます。
そういう方の所に、身の回りの支援や、寄り添い、傾聴に行っていました。

私に、「生きるってことは、愛だよ。」という言葉をくださったハナさんとは、
ご入院中に私がヘルパーとして訪問して出会いました。

ハナさんとは、
その後、約1年間、
私はヘルパーとして交流させていただいたのですが、

一緒に過ごさせていただいた中で
くださった言葉が、
「生きるってことは、愛だよ。愛に格好なんてないんだよ。」
という言葉でした。


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90歳になるハナさんは、
非常に重い障がいと病気を背負っておられました。
体は全身が動かない、
そして動かないだけではなく、
少しの衝撃で全身に激痛が走る、
もちろん、食事も、入浴も、
生活のすべては介助が必要で、
寝たきりの状態でした。

つらいことは
体のことだけではありません。
心のこと、社会的なこと、二重にも三重にも苦しい境遇にあった、
そんな方でした。

そんなつらい境遇の中で下さった、黄金のことば

それが
「生きるってことは、愛だよ。」という言葉だったのです。

最愛の娘を亡くして




ハナさんは、たえず激痛に苦しむ境遇の中、
いろいろなお話しをしてくださりました。

そんな中で、ハナさんにとって、
こればかりは堪えがたいという
熾烈な出来事が起こりました。

体も動かない、
食事はもとより、下の事まで、人の世話を受けないと暮らせない、
言葉も、ろれつが思うように回らない、
しかも激痛が絶えず襲う、
これ以上苦しいことが想像できるでしょうか?

そのうえに・・・・
ある日
ハナさんのたった一人の娘さん(病気で入院中)の容体が急変しました。
そして間もなく
娘さんは亡くなられたのです。

ハナさんは、娘さんがご存命中、
体が動かず、また遠距離の移動が無理なので、
娘さんに会いに行くことができませんでした。
言葉を交わすこともできないまま、娘さんを失われたのです。

自分の体のこともつらいが、
愛する者を失う、
しかも最愛の者を失うことほど、つらいことはありません。

ハナさんは
枕元に飾った娘さんの遺影を見ては
「どうして先に行ってしまったの、
どうして返事してくれないの」
とお泣きになられるばかりでした。

ハナさんの姿を見て私は思いました。
こんな辛いことがあってもいいのか?
神は、いるのか?
仏は、いるのか?
神の愛とは何か?
み仏の慈悲とは何か?

私はヘルパーとして
家事やお体のお世話をしながら
寄り添っていることしかできませんでした。


苦悶と涙から絞り出された言葉「生きるってことは、愛だよ」



涙を絞るように流し、
細い声をあげて泣き続けられたある日、
ハナさんは、訪問した私に、手を握っておくれといわれ、
私がそっとハナさんの手を握りますと、
出しにくい声を絞り出すように、
次のように語って下さいました。

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「生きるってことは、愛だよ。」

ハナさんは、出しにくい声を出しながら続けられました。

「これから私の言うことを、よく聞いておくれ。

私はこんな体になっても生きている。
今、あんたやヘルパーさんと一緒に、時間を過ごしている。

それがなぜだかわからない。
わからないけど今がある。

いいかい、

生きるってことは 愛だよ。

愛に格好なんか ないんだよ。

少ししか生きられない いのちでも、
何歳になっても生きなきゃあいけない いのちでも、

あなたのいのち、誰も代わりに生きられないんだよ。

たった一人のあなたなんだ。

それほど大切なあなたなんだよ。

だから
このいのち
生きて
生きて
生き抜こうね。

それが
愛だよ。

私のいのちがもし、
仏さまのところに行ったとしても、


あんたがこの地球上にいるいのちで

この言葉を一人でも多くのひとに伝えておくれ。」

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そして
ハナさんは数日後も、こう言われました。

「生きるってことは、愛だよ。

愛に格好なんてないんだよ。

愛に理由なんてないんだよ。

格好が悪いからって、
しょげるもんか。

私もいのちがけで生きている。

あんたたちも、
一日一日を大切にして
生きるんだよ。」


命を生き抜いた


「生きるってことは、愛だよ」
この言葉をくださった数日後
ハナさんは亡くなられました。

亡くなったというよりも・・・
生き抜かれました。
見事に生き抜かれました。

生きて、
生きて、
いのち余すところなく
生き抜かれたと言って過言ではないでしょう。

残念ながら、
私はハナさんの最期に立ち合うことができませんでした。
いろいろな人の所を訪問巡回していた私は、
朝にハナさんを訪問して食事を作り、
その日の昼は、ほかの人のところの訪問になっていました。

ハナさんが亡くなられたのは
その日の昼でした。
看取ったヘルパーさんの話によると、
ハナさんは、私が作って差し上げた食事を
最後にお召し上がりになられ、
「おいしいねえ、ありがとう」
と言われたまま、
眠るように亡くなられたそうです。
ご尊顔は
まるで喜びの中にくつろいでいるように
安らかなお顔でした。

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「生きるってことは、愛だよ」


ハナさんから頂いたこの言葉で
私は衝撃をうけました。

「愛」とは、実践する事だけじゃない。


愛は思いやり、
誰かに何かをしてあげることと
いままで思っていました。


人に何かができて
感謝してもらえて
うれしいこと
それが愛だとばかり思っていました。

しかし、それだけではなかったのです。
「生きるってことは、愛だよ」
この言葉は、これまでの私の人生観をがらりと変えました。
衝撃のある言葉でした。


それでは「生きるってこと」すなわち「愛」とは何なのでしょうか。

それはね、

愛とは、そこに、いま、私がいること。
生きて、そこにいること。
それが、まさしく、立派な愛だったのです。

「リハビリテーション」の概念の定着に大きく貢献された上田敏博士は、
「能力の価値から
 存在それ自体の価値へのパラダイムシフト」
という理論を書かれています。
(上田敏『リハビリテーション -新しい生き方を創る医学-』講談社ブルーバックス、1996年、pp180-181)

まさに「生きるってことは、愛だよ。」は
上田敏博士の提唱された「存在それ自体の価値」に通じる
生きた言葉です。

どんな姿でもいい。
だれに何を言われようともいい。

いること。

いま、いること、

これほど素晴らしい愛はありません。


私は、ハナさんの言葉から気づかせていただきました。

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私は慎んでこの言葉のプレゼントを

あなたに差し上げたいと思います。

「生きるってことは、愛だよ。」

「いのち」のリレーを生きて行く。


「いのち」には、連続性があります。
 

人は生きます。
死ぬのではなく、
生きます。

そして、永遠に生きます。

永遠に生きるということには、二つの意味があると思います。

一つは、
肉体が尽きても不滅の霊魂として、生き続けること。
もうひとつは
生きたいのちが、生きている私たちのいのちの中に、
リレーのように灯り続け、
世代を超えて、時代を超えて生き続けること。

前者は、信仰や思想の問題であるので、人それぞれの見解があり、
ここでは立ち入りません。

しかし後者は、
はっきりわかっています。

現に、ハナさんのいのちは
「生きるってことは、愛だよ。」という言葉になって、
生きている私の中に灯り続けており、

そして、
このお話しを読んだあなたの中に灯り続けて行きます。

ハナさんのいのちのともしびは、
世代を超えて、
時代を超えて、
いのちのリレーとなって、
消えない燈明となって灯り続けて行きます。

生きると言うことは、辛いことが多すぎます。
惨めなことが多すぎます。
それでも人は、1人残らず尊いんだ、そうハナさんは教えてくれました。
人は生きるんです。
死ぬのではなく、生きるんです。
たとえこの世の果てにあっても、
そしていのち終わった後もです。

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そして、どんな人の上にも、生きる喜びに気付き、
涙の止まらなくなる日が必ず訪れます。
遅かれ早かれ、平等に訪れます。

私たちは
日常生活の中で、意識せずともその日に向けて歩んでいるんだと思います。

夢を持ちましょう。夢はかなえられます。

そして
愛があるから、
夢をもって、
夢をかなえていきたい、

一緒にかなえていきたい
そう強く思うのです。

シューベルトのアヴェ・マリアに込めた思い「生きるってことは、愛だよ」



「生きるってことは、愛だよ」この言葉を「シューベルトのアベマリア」のオカリナ三重に込めました。
https://youtu.be/CKLFiSBsMfA

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オカリナは、南大阪に工房を持っておられる、板東正裕さんの作品
「颯オカリナ」のアルトC、ソプラノF、ソプラノCで演奏し、ミキシングしました。

颯オカリナよ、叫んでおくれ。
水平線の向こう
地球の裏側まで叫んでおくれ。
「生きるってことは、愛だよ。」

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即興曲、創作曲が「おり」てくる 「ひらめきの時」をどうつかまえるか [オカリナ曲によせて]

生活の何気ないときに、「音楽」とか「アイデア」がふっと「おり」てくることがありませんか。
何かについて、あれこれ考えていたり、悩んでいたりしているときは
どうしても思いつかないのに、
そういうことから離れて、頭を休めて
そんなこと忘れてしまっているときに限って、
ふっと 「おりてくる」というかひらめくことがあると思うのですが、
そういう時、どうすればいいのでしょう。

先日、オカリナの曲が仕事中に「おり」てきて、演奏・録音できるようになるまで
9時間もの時間を悶々と過ごしたことについて今回書いてみたいと思います。

まず、今回「おり」てきて、録音するまで9時間を耐えたオカリナ独奏曲
「時の旅人」演奏動画です。
https://youtu.be/JenpFib9hIQ

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デジャヴ


私は、現在、楽譜を書けるようになるために独学中で
まだ書けないので、
「音」が「降り」て来た時に
感覚を忘れないようにするために、
その辺のメモ用紙に、一緒に浮かんできた詩を書きました。

こんな詩です。

時の旅人4.jpg
デジャヴ

私はきみを覚えている。
会ったことがないかもしれない。
話したことがないかもしれない。
それでも
会ったことがある。
親しく話したことがある。
大切なきみを
私は覚えている。

何気ない生活の一コマで
いつの時だったか
どこの場所だったか
確かに君といたころの風の香りを
一瞬感じることがある。

でも
その一瞬も、
生活の雑事の中に薄れて消えていく。

忘れないようにと思っても
通り過ぎる新幹線のように
忘れてしまう。

でも忘れても忘れていない。
心の隠し場所に
きみは住んでいるから。

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ひらめきの時には、たいがいメモもレコーダーもない


その「おり」は突然起こりました。
何の前触れもなく
かといって、仰々しくもなく、

そう

現場でシーツ交換をしていた朝、
シーツをたたみながら、心の中にあるフレーズが「来」ました。

車の中とかだと、忘れないように口笛を何回も吹いたりするのですが、
周りに仕事仲間がたくさんいる環境で急に口笛を吹くと変です。

だから心の中のオカリナで
心で繰り返し演奏しました。

そうするとぼーっとしてしまって
シーツの裏表を間違えるわ
注意されても返事を忘れ、なんか気まずい雰囲気になるわで
困ったわけです。

トイレに行って、ポケットのメモ用紙に、
一緒に浮かんできた詩を書きなぐりました。

それでトイレから出てすっきりして、仕事に戻りました。

午後はソーシャルワーク、相談援助があります。
辛い話、難しい話の中で、自分の感情がぐちゃぐちゃになってしまったら
せっかく朝におりてきた爽やかで気高い気持ちを忘れてしまいます。

これは困る。

だから、
自分の気持ち、感情はしっかりと持っておき、
仕事にあたるのです。

難局に立ち向かっている合気道の演武と似ています。

なにもこれは
「おり」てきた感情を大切にする時だけではなく、
相談援助の基本です。

特に、つらく悲しい話や理不尽な現実を聞くことの多いソーシャルワーク(相談援助)では
自分が翻ろうされることなく、物事に理性的に対応することが重要になってきます。
どんなにつらく悲しい話を聞いても、
どんなに理不尽で放っておけない現実を聴いても
嘆きで理性を失ったり怒りで理性を失ったりせず、
感情的にならずに、静かに熱く誠実に対応しなければなりません。

自分がつぶれそうな話を聞いても
自分をつぶしてはならない。

さらに、
会議。
いろいろ話し合ったり意見を聞いて、言わなければなりません。
こういう場でも、
自分の心は大切に保ちながら、
会議ではしっかり話を聞いて、意見を言う。

こういうわけで
午後のソーシャルワークや会議の間じゅう、
自分の中で「おり」てきたものを保ちながら、仕事を決しておろそかにせずに、
過ごしました。

降りてきた「もの」の鮮度を絶対に失わない金庫をイメージして、
そこにしまっておいたので
9時間もの間でも、仕事にどれだけ打ち込んでも大丈夫でした。

仕事が終わって、ずっと我慢していたオカリナとレコーダーを取り出し、
一気に録音しました。


「ひらめき」を保存するイメージの力


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このように、何かが「おり」てきたとき、
その鮮度と純度を保つことが大切になります。

優しい気持ちになれたにせよ、
神々しい気持ちになれたにせよ、

その気持ちを保つこと。

それは、頑として離さないのではなく
柳の木のように、しなやかに心に保持するというか

何が起こっても
心の中にある「それ」が消えることなくしっかりあることを
自分の親しみやすい方法でイメージし続けるわけです。

イメージとは
画像の場合もあるし、音の場合もあるし、雰囲気、感じ、感覚であったりします。

消えないとイメージしたら、消えません。

意外と、イメージの力は大きいです。


心の中にスタジオを作る


こうして、音楽が、「おり」てくるときに限って
手の離せない仕事中とか、
風呂に入っていたりトイレに入っていたりして、メモも録音もできない。

口笛が吹ける状況なら、口笛を何度も吹きますが、
以前、露天風呂で口笛を吹きまくって、
変な人と思われたこともあって・・・(汗)

こういうとき、
メモもなく、レコーダーもないから
心の「イメージの力」を使うのです。

心の中に、自分の得意な楽器を創造します。
私ならオカリナ。
音を鳴らしませんが、心の中で指を動かすことくらいできます。
そして
忘れないように心の中で繰り返し繰り返し歌ったり
演奏したりします。
つまり、オカリナにせよ、ギターにせよ、心の中なら自由にスタジオを作れるので
必要なものを心の中にどんどん創造して、何重奏ものハーモニーもできるようにして
イメージのスタジオで思いっきりリハをやるわけです。

また、
「おり」てきた時の、感情の鮮度が落ちないように過ごすことも大切です。

こういう時は、人とのトラブルは避けたいです。
悩み、怒り、腹立ち、イライラは特によろしくありません。

できるだけ、自分をやわらかくして、穏やかに過ごしたいです。
そして、
自由の身の上になったら、
私は一目散にオカリナとレコーダーを取り出して演奏して録音します。

楽譜が書けるなら
紙を出して楽譜に記録できるのですが・・・・
昔のモーツアルトやバッハなどは、まるで手紙を書くように楽譜を書いたんですね。
ああなりたいのですが・・・・
現在独学中です。

今は、MTR(マルチトラックレコーダー)に頼って、ハーモニーを録音しています。

今回作った動画も
最近「おり」てきました。
もちろん、以前何かで聴いたフレーズが含まれているかもしれません。
夢と一緒で、意識・無意識のいろいろなものがミックスされて
「降り」てくるのだと思います。

こういうことが起こったら
これからも、できるだけ記録に残したいと思います。

またときどき、即興演奏を作ると思いますので
よろしくお願いします。


私のオリジナルオカリナ独奏曲
「時の旅人」演奏動画です。
https://youtu.be/JenpFib9hIQ

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「悩まなくていいよ」マタイ福音書の癒しのことばを吹く~青少年のゴスペル「野に咲く百合の花」 [癒しのエッセイ]

青少年のためのゴスペル「野に咲く百合の花」。
このゴスペルは、マタイ福音書6章の26節から30節の
有名なイエスの福音を歌にしたものです。
この記事では、オカリナ演奏に込めた思いと、
その背景となったマタイ福音書について書きます。

ゴスペル「野に咲く百合の花」は、
プロテスタントやカトリックでの子ども会、
教会学校、青年会などでよく愛唱されている、
青少年のための聖歌です。
この歌をオカリナで二重奏しました。

演奏のYoutube動画です↓
https://youtu.be/4q1ydGbvSXI

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ゴスペル「野に咲く百合の花」の想いで


このゴスペル「野に咲く百合の花」、私にとって懐かしいうたで
学生時代、教会の日曜学校のリーダーをしていて
ちびっ子たちを引き連れて、軽井沢のサマー合宿に行きました。

朝5時に起きて、小鳥のさえずりをきいて、
みんなで、神様のお恵みについて話し合いながら、散歩したのですが、

雑草の茂った空き地に、きれいな真っ白い花が咲いていました。
ある子どもがびっくりします。

「この花、雑草なのに、きれいだね」

つまり、雑草というのは、誰の世話を受けることなく、
咲いても誰に愛でられることもない状況ということですが、
そんな状況の中にきれいな花が咲いていることを
その子供は幼心にも感心したわけです。

私はこう答えました。
「この花は、百合の花と言って、
お花屋さんにも売ってる、素晴らしい花だよ。
神様が咲かせてくれたんだなあ、すごいなあ。」

それを聞いていたもう一人のリーダーが言います。
「このゆりの花には、
聖書の中にお話があるから帰ってから読んでみましょう。
あと、歌もあるから歌ってみましょう」

このリーダーさん、急きょ機転を利かせて
合宿所の教会に帰ってから、子どもの聖歌集を引っ張り出してきて
「野に咲く百合の花」をオルガンで弾いて歌ってくれたんです。
これはきれいだ!
私は、即座にポケットからオカリナを取り出して
オルガンと歌に合わせて吹きました。
(私は当時、楽譜を読めなかったのですが
耳で聞いたら、初めての曲でも吹けたのです)

みんなも気に入ってくれて、
その後のスケジュールを変更して
この「百合の花」についての聖書のお話を読んで、
合宿の終わりにあるミサでは、この歌を歌うことにして
みんなで練習しました。

歌詞が素敵なんですよ。

野に咲くユリの花が、神さまの命のままに、だれも見ていなくても
きれいに装うこと、
また、青空をとぶ小鳥が、神さまの命のままに、だれも聞いていなくても
きれいに歌うことを称え、
悩むことなんかせずに、明日は明日のこととして、
この日を大事にして、だれも見ていなくても、私たちのつとめに励もうと歌います。
私たちも、百合の花や小鳥のように、神様にすべてをゆだねきって、
心から感謝の祈りをささげましょうと歌います。

「野に咲く百合の花」演奏のYoutube動画です↓
https://youtu.be/4q1ydGbvSXI

オカリナは、南大阪に工房を持たれている板東正裕さんの作品
「颯オカリナ」のソプラノGとアルトGで
二重奏に仕上げました。

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この歌のもとになった、聖書のお話とは何でしょうか。

マタイの福音書に見る、野の花、空の鳥の話


この「野に咲く百合の花」
マタイの福音書6章の言葉からとられた歌ですが、
昨年、神戸と南大阪のオカリナフェスタで私が演奏した
聖歌「ごらんよそらの鳥」
と同じ福音から作られた歌です。

ちなみに
「ごらんよそらの鳥」の私の演奏はこちらのYoutube動画です。↓
https://youtu.be/B1uO8oJgww8

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「ごらんよそらの鳥」が長調で明るく爽やかで
「野に咲く百合の花」は短調でほのぼのしたイメージですね。

両方、聖書の同じ福音からです。
マタイによる福音書 第6章 25節から34節にあるこのお話、
イエスが弟子に話されたお話ですが

「だから、言っておく。
自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

:空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか。

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、
思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。
明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。」
(新共同訳聖書より引用)

というお話です。
少しむずかしいですね。

今どきの言葉でいうと、こういうことだと思うんです。

「空を見上げてごらん
可愛い小鳥が飛んでる。
小鳥たちは自分で種まきや刈り入れとかをしないけれど
天のお恵みで養ってもらってるんだよ。

ほら、足もとを見てごらん
空き地に白いゆりの花が咲いてる。
このお花がどうして育つんだろうか?
お花は自分で動けなくても
天のお恵みをいっぱい受けて
白くきれいに着飾っている。
王様の豪華な着物よりも、もっとステキだね。

小鳥もお花も
だれに世話をしてもらっているわけじゃないけど、
天のお恵みをいっぱいもらって
今をいっぱい楽しんでいるんだよ。

だから、だから私たちも
あすこことや、きのうのことを
悩んだり怖がったりするのは
やめようよ。

きっと
気づかなかったお恵みが
いつも私たちに注いでいることに気が付いて
ありがとうって思えるときがあるよ。」

こういうことだと思うんです。


悩まない だったらどうすればいい?



マタイのこの福音の意味、
あれこれ思い悩んでいたら、未来につながっている現在が暗いものになっているから、
未来も引きずられてしまう。
だから先のことは、先が考えるから、今を精一杯生きよう。
今を明るく、安心して生きて居よう。
こう教えられるのだとおもいます。

しかし、
どうしても悩んでしまうのが私たちのつらい所です。
苦しみや不安が多いほど
「悩むなかれ」なんか言われても
どうすればいいかわからなくなります。

学生時代、私は毎日合気道の激しい稽古に身をさらしていましたが、
激しく厳しい合気道の稽古の中で
泣きそうになったり、本当に泣いている私たちに
恩師がよくこう言っていました。
「悩んでも間に合わない。
驚いても間に合わない。
突然何かが起こったとしても、
驚かず、
悩みもせず、
死力を尽くせ。
それが、武道を求道するきみたちのあるべき姿だ。」

これは、
イエスが教えた「空の鳥、野の花」の福音に相通ずるものがあります。

しかし一方で、この「悩まない」ということは
先に予想される困難について
何も考えず、行き当たりばったりで対処する事でもないと思うのです。
やはり、あれこれ考える必要があるときはあるし、
何も考えずに事に臨んで失敗することも多々あると思います。

こういう場合、
私は、「悩む」のではなく、心の中で「ディスカッション」すべきだと思うのです。

「悩む」のではなく、心の中で「ディスカッションしよう


「悩む」という心の活動の中身をみると、二とおりのものが見えてきます。
何もしていないにもかかわらず、あれこれ嫌がる「取り越し苦労」と
「どうせ努力しても報われない」などの「マイナスの観念」
です。

だから「悩む」のではなく「ディスカッション」すべきなのです。

「ディスカッションする」というのは、
この二つの観念の正反対です。
ディスカッションは、「PDCAサイクル」と「プラスの観念」に立脚しているんです。

「取り越し苦労」ではなく「PDCAサイクル」
「マイナスの観念」ではなく「プラスの観念」
によって成り立っています。

dandelion-16656_640.jpg

つまり、
何もしてもいないのにあれこれ恐れている「取り越し苦労」とはちがい、
実行する前も考えますが、実行してから良くも悪くも生ずる様々な変化をたえず見て、
それにどう対応するかたえず意見を出し合って再思考する、
「PDCAサイクル」(Plan計画・Do実行・Check評価・Action見直し)です。

また、希望や目標が何もないか、あってもそれが達成できないことが前提になっている「マイナスの観念」とは違い、
希望や目標を未来に設定して、それを満たすためにどうするか、
立ちはだかる障害に対応し、自分の強みを助長しながらどう進んでいくか考え、
必ず目標に到達するという確信を伴った意思を前提にした「プラスの観念」です。

私たちは、先の困難に直面したとき、
あれこれ思い悩むのではなく
この二つの姿勢を基本にして
心の中で「ディスカッション」したほうがいいです。

そのほうが絶対にいいです。

一人でもできる、「心のディスカッション」


ディスカッションというのは
お互いを攻撃や否定する事ではありません。
よく国会中継などでは、ヤジやどよめきが聞こえますが
あのようにお互いを否定したり攻撃し引きずりおろそうとしている姿は
全く建設的ではなく、
「ディスカッション」になっていません。

「ディスカッション」は
立場や見解の異なる相手同士が、考えを伝えあい、議論しあい、視野をお互いに広め、よりよいものを創造していく、思考の交流活動であって、
相手をつぶしたり攻撃したりするマイナスの観念ではなく
意見の異なる者同士が、お互いが何を主張しているかを理解しあい、
よりよいものを目指していくプラスの観念がベースになっています。

リアルのディスカッションでは、複数の人が意見を出し合いますが、
心の中のディスカッションでは、意見や見解の異なる複数の自分を登場させます。
自らの中にも、見方、感じ方の違う複数の自分がいるので
自分の中で意見を述べあい、よりよい方法を探索するのです。
これが心の中のディスカッションです。

こうして
違う角度で見てみたり、
発想を転換してみたり、
あれこれフレームを変えているうちに
いろいろなものが見えてきます。
知らないを知り、気づかないを気づきます。

心の中でディスカッションしているときは
悩んでいるときとは異なり、
目標が達成されたらうれしいだろうな
こうなったら、さらにこうしようかと、
あれこれ、楽しいことや有意義なことを考えたり、
ウキウキしたりしているものです。

野に咲く百合の花は8.jpg

だから、私が伝えたいこと、
それは、
いろいろな悩みがあっても
空の鳥、野の花のように
楽観的に見て
いまを精一杯生きたいね。
でも、やっぱり悩んじゃうときは
取り越し苦労なんかじゃなく、
やってみて、考えて、改良していけば何とかなるしさ(PDCAサイクル)
「どうせダメだ」ってあきらめるマイナスの観念じゃなくて
「絶対に何とかなるさ、そのためにできることを考えよう」と
プラスの観念で
心の中でディスカッションしてみようぜ!

だから私は吹く。
「ごらんよそらの鳥」
https://youtu.be/B1uO8oJgww8
ごらんよ2.jpg

「野に咲く百合の花」
https://youtu.be/4q1ydGbvSXI
野に咲く百合の花は1.jpg


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3.11の東日本大震災・津波の経験を忘れないために演奏しました [エッセイ一般]

東日本大震災での衝撃


今日は何日ですか?
3月11日ですね。
7年前に起こった出来事。
決して私たちは忘れない。


2011年(平成23年)3月11日金曜日、14時46分ごろ、
太平洋の三陸沖で、マグニチュード9の地震が発生しました。

東北地方太平洋沖地震と呼ばれるこの地震により、津波が起こり、
大きな船が川をさかのぼって流され、
多くの家が、根こそぎ流されました。

福島の原子力発電所が被災し、
放射能の影響を避けるため、
広範囲の地域の人が避難を余儀なくされました。

多くの命が失われ
多くの人が悲しみの底に落とされ、
生活が壊れました。

この東日本大震災の衝撃を忘れることができません。

感謝、たすけあい~東日本大震災でのもう一つの経験


私も、友達のいる教会がなくなったりしましたし、
心が騒ぎ、一刻も早く現地に行きたかったのですが
多くの専門職が派遣される中で、かえって地元の福祉現場が手薄になるということがあり
地元で福祉に取り組まなければなりませんでした。

東北、福島から避難してくる人の介護や心のケアにもあたっておりました。
自分の無力さを責めたりもしました。

当然、現地で被災された方々は、
言葉では言えない悲しみと苦しみにおられました。

しかし、この経験を通じ、
私たちは、ものすごく貴重な経験もしました。

たすけあうこと、
感謝。

あの時、世界中の国から、慰めや励ましのメッセージが来たことを覚えてますか?
いろいろな物資も運ばれましたね。
感謝で泣いて泣いて仕方がなかったこと。

わたしたち日本中の住民も、
直接行った人も、行けずに募金をした人も、直接間接にたすけあいました。

つらい経験でしたが
人と人はつながっている、
感謝で涙が流れて仕方がない、という、
得難い経験をしたと思います。

インディアンフルート演奏をしました


数年前のこの感謝の気持ちを
時代が変わっても忘れたくないから
即興演奏をして録音し、
日本語と英語の言葉をつけて動画を作りました。

インディアンフルートで演奏しましたが
なにしろ
インディアンフルートを入手したばかりのころの演奏で
いま改めて見ると、ピッチが安定していません。
しかし、
演奏技術のことよりも、
3.11を忘れないことのほうが大切なので、
恥はかき捨てで、ここに改めて掲載します。

この出来事で経験したもう一つのこと
それは、感謝、つながり
この経験を決して忘れず、
後世に語り継げるようにしていきたいですね。


インディアンフルート「3.11を忘れない わだつみのきよめ」即興演奏動画、こちらです。
https://youtu.be/PySC1TNMfD0


3月11日レクイエム.jpg

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古代「くまその笛」の音色で、切支丹の祈りを再現しました [エッセイ一般]

自作の詩「幼子のためのレクイエム」


くまそマリア2.jpg

さんたまりあ
いのりたまえ
この子のために
いのりたまえ

幼いまま天国に召されていった
この子を抱きしめたまえ
もうさみしくないよ
もう心配いらないよって

この子を抱きしめて
なでてあげてください

あなたの胸の中で
この子が安心して
わっと泣き出したら
思いっきり泣かせてあげてください

サンタマリアはこの子をなでて
こう言われます。

もう
痛くないよ
もう
苦しくないよ

天国では
神様がいつも一緒だからね
離れることはないからね
もう迷子なんかにならないからね

もう
おなかがすくこともないし
もう
こわいひとなんていないよ
いじわるなひともいないよ
もう
寒くないよ

神様がいつも守ってくださるからね

さんたまりあの優しい言葉に
この子は安心して笑顔を取り戻す。

そしてこの子のそばで泣いている人たちに
こう語りかけるんだ。

みんな
ぼくのために泣かないで。

ぼくはいつも一緒だよ。
神様がみんなと一緒にいつもいるんだからね
ぼくも一緒にいるよ。

いつまでもいつまでも
一緒だからね。

天国はここにあるんだよ。
天国には、神社もお寺も教会もないんだよ。
どこにいても いつでも
神様がずっと一緒だからね。

神様の胸の中で
いつまでもいつまでも
やさしいきもちで
うれしいきもちでいられるからね

泣かないで
ぼくのために泣かないで


幼いまま天に召されていった
いにしえの魂 そしてすべての現代の魂のために吹く。
祈りのうちに。


古代くまそ笛との出会い



先日、熊本県人吉におられるオカリナと古代笛の作家
高場敏郎先生とご縁がありました。
先生が制作された
「古代くまそ笛」の音色に、
何か魂が騒ぐものがあり、
懐かしい音のニュアンスを感じました。



そしてとうとう先日
この「古代くまその笛」のアルトGが
私の手元に届いたのです。

くまその笛1.JPG

オカリナと同じ土の笛なのですが
オウムガイの形をした笛で、
何とも神秘的な響きがあるのです。

古代の縄文時代に、「くまそ国」(現在の九州中南部地方)で吹かれていた笛を
現代に再現させた作品です。

この笛で
切支丹の時代に歌われていた祈りの調べを吹けないものか

この笛を手にしたとき、ひたすら思ったのです。
なぜそう思ったのかは自分でもわかりません。

私の魂がそうさせたのかもしれません。

この笛の響きは
いにしえの切支丹がひたすら祈る、
素朴で純粋な祈りに通じていたんです。

「さんた・まりあへの祈り~幼子のための鎮魂歌(レクイエム)」を古代くまそ笛で吹く


こうして、古代くまその笛を初めて吹いたのですが、
なぜか即興で「おり」てきた音調が
戦国時代のグレゴリオ聖歌の調べだったんです。

くまそマリア20.jpg

この即興演奏の中で
幼くして亡くなったすべての子ども
病気や戦争や貧困の中で
短いいのちを終えた、世界中の、そして全時代の
すべての子どものための祈りを込めました。

祈りが、時を超えて、
いにしえから現代まで届くようにとの思いを込め、
即興演奏しました。

構成は簡単です。
ラテン語の歌詞で

Sancta Maria(聖マリアよ)
ora pro nobis(私たちのためにお祈りください)
を繰り返し歌うというものです。

途中、さびの部分には
mater Dei, Maria(神の母マリアよ)
nunc, et in hora mortis(いまも、このいのち終わるときも)
ora pro nobis(私たちのためにお祈りください)

というフレーズを入れていますが

おおむね全体的に
「さんたまりあ
おらぷろのーびす」

で構成しています。

きっと
切支丹の時代も
宣教師が原語でもたらした西洋の言葉とメロディーを
日本に古くからしみわたっている哀愁の調律に乗せて
ひたむきに歌われていたのでしょう。

どうか、
この音色が
幼くしてこの世を去った魂のために
きよめと
やすらぎを
天の国へ運んでいきますようにと

祈りを込めました。。

私の即興演奏の動画
古代くまその笛で吹く「さんたまりあへの祈り」はこちらです↓
https://youtu.be/uNToH1yO2yg

くまそマリア20.jpg

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