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ひな祭りの朝に天国に昇って行った一人の子どもの話 [エッセイ一般]

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ひな祭りの前日の院内学級で


3月2日のこと
思い出します。
ひな祭りの朝、天国に召されていった
9歳の男の子のこと。

ひな1.JPG

3月2日、いつもの院内学級。
彼は、みんなと勉強したいと言って、
酸素ボンベをつけてベッドを動かしてもらって通学した。
その日は、英語の特別授業で
イギリス人の先生が来ていた。
「何か英語を言える子、手をあげて」
やりたがりの彼は、酸素マスクしながら手を挙げた。
何か英語を言えるかな?
彼は、酸素マスクの奥から「ヘイ」といった。
みんなを笑わせた。
「グッド イングリッシュ!」先生に褒められた。

冗談言ってみんなを笑わせるのが大好きだった。

放課後、
みんなでウノ大会をした。
今までなかなか勝てなかったんだ。
今度は勝つぞ。
もう手が動かせなかったから、
私がカードを持ったが、
何を出すかはしっかり私に指示した。
それで、7人くらいいたメンバーの中で
彼が優勝した。
2回も。

夕方、病室に戻ったが、お雛様を見たいと彼は言った。
病室に戻る前に
プレイルームに連れて行った。
つぶらな目で、お雛様をじっと見ていた。
「さあ、疲れるから病室に戻ろうか」
私が言うと、彼は泣きそうになった。
「本、読んで」とせがむ。
プレイルームにあった絵本を何冊か読み聞かせた。
「手を握って」と泣きそうにせがむ。
じっと手を握った。

ひな2.JPG


生きて生きて生き抜いた夜



夕食。
いつもと違うごちそう。
これまで、食べたいのに食べられなかった
彼の大好きなマグロのおつくりが出た。
うれしそうに口に運ぶ。
でも、すぐしんどくなってこれ以上食べられない。
食べたいのに食べられなくて、泣きそうだった。
こともあろうに、私は「もうこれくらいにしておこうか」と言ってしまった。
私の心ない一言で、ごちそうの時間が終わった。

ベッドの姿勢が、どんなに変えても苦しい。
ギャッチしたり寝かせたり。
「起こして」「ハイ、止めて」「寝かせて」
繰り返しギャッチの角度を変えた。

酸素マスクが外れそうになったら苦しくて、
ほっぺにぴったりくっつくように押さえた。
あざができるほど。

彼は、生きたいんだ。
何か月か前、まだ外に出られた時だ。
私は彼を教会に連れて行った。
静かな教会で
「なんでもいいから、祈ってみ」とわたしは言った。
きっと、何かのおもちゃやゲームを買ってほしいと祈るだろうと思っていた。
そう祈ったら買ってやろうと思っていた。
そうしたら、彼はこう祈った。

「生きられますように」

こんなに小さな子が、ここまで思っていたのか。
私は心を痛めた。

3月2日の深夜
彼は必至で呼吸した。
マラソン選手よりも、アスリートよりも、
必死で
命がけで呼吸した。

呼吸して、呼吸して
心臓を動かして、動かして、

ひな祭りの早朝
いつしか、モニターの波がツーっと平坦であることに気づいた時、
彼は息をしていなかった。

溺れるように生きて生きて、息をし続けた彼が。

その後のことはあまり覚えていない。
「6時5分。臨終を確認しました」
眉間にしわを寄せて悔しそうに言った主治医の声。
彼は、まるで溺れたように、必死で口を開けた表情だった。

「ウソだろう???」

涙を流すのを忘れていた私。
「奇跡の一つくらい起こってくれ!」

奇跡



奇跡は起こった。
命がよみがえったわけではない。

溺れるように苦しそうだった彼の表情が
気が付けば、
天使のようにかわいらしく微笑んでいたんだ。
彼が、いのちの終わった後に、私にくれた
最後のプレゼント。

本当にかわいらしい笑顔になっていた。
これを奇跡と言わずにどう表現するの?

命を、自分のいのちを
大切に大切に生きた彼への
神様からの表彰に違いない。

みんなに勇気と笑いを




彼は、ただ苦しかっただけの子じゃありませんでした。
折り紙が好きで、無菌室を作品のギャラリーにした。
もう余命1か月と言われていたころ、2回も開催できた折り紙展。
多くの人に勇気を運んだ。

ギャグが大好きで、ポケモンのロケット団のずっこけブリが大好きで
亡くなる前日も冗談を言って笑わせてくれた。

亡くなる3か月前の検査結果では、もう、歩けたり話せたりすること自体奇跡で、
普通の痛み止めでは無理だろうといわれていたが、
不思議に苦しみが少なく、痛みもなく
病室を渡り歩いて、ゲームボーイのケーブル対戦をした。
「こんな状況なのに、これは説明がつかない」と主治医。
この子が自分らしく過ごせるようにと、
わたしの祈りが聞き届けられた奇跡だったのかもしれない。

彼は、周りの多くの人に笑いをくれた。
勇気をくれた。
努力してそうしていたのじゃなく、
彼自身が勇気で、笑いだった。

だから私は今もみんなに言っている。
こうして、きみがいること、
いてくれること、これが愛だよと。



生きるってことは、愛だよ



彼は死んだのではない。
生きた。
生きて、生きて、
生き抜いた。

これまで、治療で苦しいことが何度もあった。
背骨や骨盤にものすごい激痛の走るルンバールとマルク。
生死の境を乗り越えた無菌室での骨髄移植。

でも
生きたくないと一度も思ったことがなかった。
生きたいと思い続けた。

彼を思うと、私は、苦しみを「苦しい」なんか言いたくない。
生きる命を、いのちいっぱい大切にしたい。
こころから、そう思う。

彼の前では、一切の偽りも、ごまかしも効かないんだ。

私は知っている。
天国は実在する。
それは天の高くにあるのではない。
私たちのこの空間に重なって存在している。
天国、すなわち、永遠の喜びの生は
生きて、生きて、いのちを大切に生きた
そのいのちの延長にある。

この文章を読んでくれた人たちよ、
自分のいのちを
これからも
大切に、大切に、
スープの一滴までなめ回すように生きてくれ。
私からのお願いだ。
生きるってことは、愛だよ。

ひな3.JPG




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