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春を待つ詩 [詩をつくりました。]

桜の梢に
雪の積もる枯れ木の森
寒くて音のないさみしい森に
静かにたたずむ桜の梢に
わたしはそっと耳を澄ます

心の耳を澄ませば
何かが聞こえてくる

こずえの先に
「いらが」のまゆを見つけた
まゆはじっとして何もしゃべらない

でもまゆの中では大忙しだ。
春になってまゆから出れば
羽が生えて空を飛べるらしい。
空を飛ぶってどんな気持ちなんだろうか
なんだかわくわくするな・・・・
いらがの幼虫は
まゆの中であれこれ思っていて忙しい

下を向いて根元を見れば
雪の下から何か歌が聞こえる
これは若草の種が静かに歌う歌
雪がとけたらお日さまにご挨拶しよう
青い芽を出してご挨拶しよう
どんな挨拶しようかな って歌っている

桜の梢に耳を澄ませば
その中にまだつぼみにならない息吹が
胸をわくわくさせている
春になったら花が咲いて 
みんなの喜ぶ顔が見られるかな…

みんな
じっと静かに眠りながらも
わりと明るくわくわくしている

私は桜の梢にインタビューした
「今年の冬は特別に寒い。
春がいつまでたっても来ないんじゃないかって
心配にならないかい?」

桜の梢はすぐに答えた
「心配なんていつもしてないよ。
 お日さまはいつも一緒だからね
お日さまはきっちりと動いてくれるからね
だから僕たちはいつも信じているんだ
外がどんな吹雪でも
何日寒い日が続いても
もうすぐ春が来る
もうすぐそこに春が来てるよ」

flowers-in-spring-76126_640.jpg

どこかで春が


「どこかで春が」演奏動画です。
オカリナはアノン アルトCを使いました。
動画の中に出てくる絵は、武蔵の青梅にある、早春の梅林で、
スケッチをもとに、30号の水彩紙に描いてタブローにした、
色鉛筆とアクリルの作品です。
https://youtu.be/4_DuudunFUw



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古代の土笛 [詩をつくりました。]

こんにちは
オカリナぽーるです。


今日は

想像もできないくらい昔に
土笛があったころのことに思いを寄せて

詩を作ってみました。


**********

笛吹きの思い出



もう誰も思い出せないほどの昔、

光と風と土と水が
いたわりあっていた。


人々は木々や草や生き物と
おしゃべりをしながら生きていた。

笛吹きは土から作った笛に息を吹きいれて、
風に乗せて光のふるさとへ祈りを送る。


毎日毎日、
雨が降れば
ありがとうと祈りを送る。

日が照れば
ありがとうと祈りを送る。
嵐が来てもありがとうと祈りを送った。

風の方向と雲の流れを読みながら
太陽のふるさとに祈りが届くように魂を送る。



笛は祈りを運ぶ。


ありがとうと
真心をこめて運ぶ。

笛の音が風に乗って、
祈りが登って行くとき、
みんなやさしい気持ちになった。

笛に祈りを乗せるときは
太陽の光が眼で見える夜明け、
そして夕暮れ。
そして月の光が見える夜。
星の見える夜も祈りを送った。

小さい、か弱い人の息を、音色に乗せて
光の神様にささげた。


神様がこの魂の捧げものをお受けになられると、
海の光が七色に輝いた。

風が凪ぎ 波が止まる時、
笛吹きは神様からのお話を聞いた。

どんな時も 
どんなに小さい命のことも
大切に愛してくださっている神様からの、
やさしさこめたささやきを聞いた。

そして魂で聞いた神様からのお話を
笛の音色にして、
空と地と水にあるすべての仲間に伝えた。


いとおしさと
いたわりこめて
伝えた。

こうして仲間の心はいつも満たされた。

森の木々も、
空の小鳥も、
草原の草も、
池の亀も、
海の魚も、
みんなみんな
満たされた。

喜びと平安のうちに
いつでも
どこにでも
神様の愛があった。

いつでも神様を愛していた。


そんなときがあった。


悲しいことも
つらいことも
何もかもそのまま
抱きしめてくださる
神様の愛の吐息を、
いつもすぐそばに聞いている。

そんな毎日があった。


もう誰も思い出せないほどの昔だった。


でも
今勇気を出して、
耳を澄ませば、
かすかに思い出せるような気がする。


はるか昔の
優しかったあのころ、
温かかったあのころを。


信じれば
昔が返ってくる。


信じれば。

オカリナが運んでくれた「おもしろい平和」 [詩をつくりました。]

オカリナぽーるです。

私は
小学校のころからオカリナが大好きで

学校に持って行っては
帰り道でよく吹いていたものです。

でも
私は少し変わり者だったので
いじめられることがよくありました。

あのときは
私に何か落ち度があったから
いじめられるんだろうと思っていましたが、

いじめに理由はありません。

おもしろいからとか、
そう言う場合が多かったような気がします。


帰り道で一人でよくオカリナを吹きました。
オカリナを吹いたら
嫌な気持ちがすっ飛んで行きました。


しかし、
あのころ
「オカリナ」に
なんだか
変なイメージを持たれていて、

「アイツをいじめたらオカリナを吹かれて呪われるぞ」
と言われていました。
でも
決して
そんなこと、思ってもいませんでした。

いいえ
オカリナの音は
腹の立つ気持ちも何もかも
清めてくれました。


そのときの気持ちを思い出して
こんな詩を書いてみました。

**********

腹の立つとき


誰かに何かを言われたり
何かをされたりして
はらのたつとき、

「このやろう」って思う時、

吹いてごらん。
ぼけーっと
すっとぼけた音のオカリナを。


そうしたら
想像出来るよ。

この人が赤ちゃんだったころの姿。


ほら
明るくなってきたよ。
ほのぼのとしてきたよ。



紅葉のような手のひらで
ニコニコ笑う姿が浮かんでくるよ。

お母さんやお父さんに可愛がられて
大事に育てられてる姿が浮かんでくるよ。


だれもみんな
赤ちゃんだったんだね。

可愛い赤ちゃんだったんだね。


想像できたら
もう「このやろう!」って思わなくなってるもんさ。


腹を立てていたら面白くないばかりだね。


それよりも、
その人が赤ちゃんだったころの
ずっこけた、かわいい姿を想像して
明るくなっているほうが
幸せだよね。

人はみんな赤ちゃんだったんだ。
可愛い可愛い赤ちゃんだったんだ。


今も赤ちゃんだよ。

だってね、
何億歳も年取ってる
いや
無限歳も年取ってる神様から見たら

赤ちゃんだよ。
愛する愛する赤ちゃんだよ。

だから本当は可愛いんだよおおお!


************


明日も詩の記事を書きます。

朝のスープの香りに [詩をつくりました。]

お早うございます!

オカリナぽーるです。

つまり

朝にこの記事書いてるんです(笑)


朝ごはんに

カップスープのコーンポタージュを飲んでいました。

香ばしい香りにしばらく幸せに浸っていたのですが、

その気分に合わせるようにメロディーが降りてきて
ついオカリナを吹きました。

吹き終わって
こんな詩が浮かんできたから書き留めてみました。


コーンポタージュ

コーンポタージュよ コーンポタージュ
湯気の中においしそうな香りをたてて 君は何を思う

いったいどれほど時間がたったのだろう
君は広い広い畑に落ちた種だったね
どんな草になるのかな・・・
君は心配そうだったね

やがて芽を出し葉をつけて
きれいな花が咲いて
たくさんの実をつけた。
 
君のつけた身はどんどん増えて
広い広い畑にいっぱいになった。
お空の青や 風の香りが気持ち良かったね。

ある時
農家さんがやってきて
きみは刈り取られて袋に入れられた。
これからどうなっていくのだろう
突然のことに君の心は心配でいっぱいだったね。


それから先のことは覚えていない。


そう・・・工場の人が君を機械にかけて
君の姿は全く変わってしまった。
パックに入れられてスーパーマーケットで売られた君には
「コーンポタージュスープ」という名前が付いていた。


ある時
仕事帰りのおじさんがスーパーにやってきて、
君を買って家に帰った。

家には病気の奥さんがいた

おじさんは君を鍋に入れてあたため
カップに入れて奥さんに言った。

「飲んでごらん、おいしいよ」

おいしいね
心いっぱいそう微笑んで
病気の奥さんはスープを飲んだ。

コーンポタージュよ
コーンポタージュ
もうカップの中には
君の姿はないけれど、

おいしかったねとほほ笑む奥さんの笑顔があった。
この笑顔が光になって空に広がって飛んで行った。
そして奥さんは元気になって
君はお空になった。

どこからも見えるお空になって
いつも奥さんを照らすようになった。

だから私はもう君を忘れない。

やがて私は年老いて
きみがとうもろこしだったことも
「コーンポタージュ」だったことも
そのうち私は忘れるかもしれない。

でも私は君をいつまでも忘れない。
おいしいねという気持ちの中に
嬉しいねという気持ちの中に
いつも君がいるから、
わたしはいつまでも忘れない


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