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3.11の東日本大震災・津波の経験を忘れないために演奏しました [エッセイ一般]

東日本大震災での衝撃


今日は何日ですか?
3月11日ですね。
7年前に起こった出来事。
決して私たちは忘れない。


2011年(平成23年)3月11日金曜日、14時46分ごろ、
太平洋の三陸沖で、マグニチュード9の地震が発生しました。

東北地方太平洋沖地震と呼ばれるこの地震により、津波が起こり、
大きな船が川をさかのぼって流され、
多くの家が、根こそぎ流されました。

福島の原子力発電所が被災し、
放射能の影響を避けるため、
広範囲の地域の人が避難を余儀なくされました。

多くの命が失われ
多くの人が悲しみの底に落とされ、
生活が壊れました。

この東日本大震災の衝撃を忘れることができません。

感謝、たすけあい~東日本大震災でのもう一つの経験


私も、友達のいる教会がなくなったりしましたし、
心が騒ぎ、一刻も早く現地に行きたかったのですが
多くの専門職が派遣される中で、かえって地元の福祉現場が手薄になるということがあり
地元で福祉に取り組まなければなりませんでした。

東北、福島から避難してくる人の介護や心のケアにもあたっておりました。
自分の無力さを責めたりもしました。

当然、現地で被災された方々は、
言葉では言えない悲しみと苦しみにおられました。

しかし、この経験を通じ、
私たちは、ものすごく貴重な経験もしました。

たすけあうこと、
感謝。

あの時、世界中の国から、慰めや励ましのメッセージが来たことを覚えてますか?
いろいろな物資も運ばれましたね。
感謝で泣いて泣いて仕方がなかったこと。

わたしたち日本中の住民も、
直接行った人も、行けずに募金をした人も、直接間接にたすけあいました。

つらい経験でしたが
人と人はつながっている、
感謝で涙が流れて仕方がない、という、
得難い経験をしたと思います。

インディアンフルート演奏をしました


数年前のこの感謝の気持ちを
時代が変わっても忘れたくないから
即興演奏をして録音し、
日本語と英語の言葉をつけて動画を作りました。

インディアンフルートで演奏しましたが
なにしろ
インディアンフルートを入手したばかりのころの演奏で
いま改めて見ると、ピッチが安定していません。
しかし、
演奏技術のことよりも、
3.11を忘れないことのほうが大切なので、
恥はかき捨てで、ここに改めて掲載します。

この出来事で経験したもう一つのこと
それは、感謝、つながり
この経験を決して忘れず、
後世に語り継げるようにしていきたいですね。


インディアンフルート「3.11を忘れない わだつみのきよめ」即興演奏動画、こちらです。
https://youtu.be/PySC1TNMfD0


3月11日レクイエム.jpg

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古代「くまその笛」の音色で、切支丹の祈りを再現しました [エッセイ一般]

自作の詩「幼子のためのレクイエム」


くまそマリア2.jpg

さんたまりあ
いのりたまえ
この子のために
いのりたまえ

幼いまま天国に召されていった
この子を抱きしめたまえ
もうさみしくないよ
もう心配いらないよって

この子を抱きしめて
なでてあげてください

あなたの胸の中で
この子が安心して
わっと泣き出したら
思いっきり泣かせてあげてください

サンタマリアはこの子をなでて
こう言われます。

もう
痛くないよ
もう
苦しくないよ

天国では
神様がいつも一緒だからね
離れることはないからね
もう迷子なんかにならないからね

もう
おなかがすくこともないし
もう
こわいひとなんていないよ
いじわるなひともいないよ
もう
寒くないよ

神様がいつも守ってくださるからね

さんたまりあの優しい言葉に
この子は安心して笑顔を取り戻す。

そしてこの子のそばで泣いている人たちに
こう語りかけるんだ。

みんな
ぼくのために泣かないで。

ぼくはいつも一緒だよ。
神様がみんなと一緒にいつもいるんだからね
ぼくも一緒にいるよ。

いつまでもいつまでも
一緒だからね。

天国はここにあるんだよ。
天国には、神社もお寺も教会もないんだよ。
どこにいても いつでも
神様がずっと一緒だからね。

神様の胸の中で
いつまでもいつまでも
やさしいきもちで
うれしいきもちでいられるからね

泣かないで
ぼくのために泣かないで


幼いまま天に召されていった
いにしえの魂 そしてすべての現代の魂のために吹く。
祈りのうちに。


古代くまそ笛との出会い



先日、熊本県人吉におられるオカリナと古代笛の作家
高場敏郎先生とご縁がありました。
先生が制作された
「古代くまそ笛」の音色に、
何か魂が騒ぐものがあり、
懐かしい音のニュアンスを感じました。



そしてとうとう先日
この「古代くまその笛」のアルトGが
私の手元に届いたのです。

くまその笛1.JPG

オカリナと同じ土の笛なのですが
オウムガイの形をした笛で、
何とも神秘的な響きがあるのです。

古代の縄文時代に、「くまそ国」(現在の九州中南部地方)で吹かれていた笛を
現代に再現させた作品です。

この笛で
切支丹の時代に歌われていた祈りの調べを吹けないものか

この笛を手にしたとき、ひたすら思ったのです。
なぜそう思ったのかは自分でもわかりません。

私の魂がそうさせたのかもしれません。

この笛の響きは
いにしえの切支丹がひたすら祈る、
素朴で純粋な祈りに通じていたんです。

「さんた・まりあへの祈り~幼子のための鎮魂歌(レクイエム)」を古代くまそ笛で吹く


こうして、古代くまその笛を初めて吹いたのですが、
なぜか即興で「おり」てきた音調が
戦国時代のグレゴリオ聖歌の調べだったんです。

くまそマリア20.jpg

この即興演奏の中で
幼くして亡くなったすべての子ども
病気や戦争や貧困の中で
短いいのちを終えた、世界中の、そして全時代の
すべての子どものための祈りを込めました。

祈りが、時を超えて、
いにしえから現代まで届くようにとの思いを込め、
即興演奏しました。

構成は簡単です。
ラテン語の歌詞で

Sancta Maria(聖マリアよ)
ora pro nobis(私たちのためにお祈りください)
を繰り返し歌うというものです。

途中、さびの部分には
mater Dei, Maria(神の母マリアよ)
nunc, et in hora mortis(いまも、このいのち終わるときも)
ora pro nobis(私たちのためにお祈りください)

というフレーズを入れていますが

おおむね全体的に
「さんたまりあ
おらぷろのーびす」

で構成しています。

きっと
切支丹の時代も
宣教師が原語でもたらした西洋の言葉とメロディーを
日本に古くからしみわたっている哀愁の調律に乗せて
ひたむきに歌われていたのでしょう。

どうか、
この音色が
幼くしてこの世を去った魂のために
きよめと
やすらぎを
天の国へ運んでいきますようにと

祈りを込めました。。

私の即興演奏の動画
古代くまその笛で吹く「さんたまりあへの祈り」はこちらです↓
https://youtu.be/uNToH1yO2yg

くまそマリア20.jpg

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ひな祭りの朝に天国に昇って行った一人の子どもの話 [エッセイ一般]

ひな祭りの前日の院内学級で


3月2日のこと
思い出します。
ひな祭りの朝、天国に召されていった
9歳の男の子のこと。

ひな1.JPG

3月2日、いつもの院内学級。
彼は、みんなと勉強したいと言って、
酸素ボンベをつけてベッドを動かしてもらって通学した。
その日は、英語の特別授業で
イギリス人の先生が来ていた。
「何か英語を言える子、手をあげて」
やりたがりの彼は、酸素マスクしながら手を挙げた。
何か英語を言えるかな?
彼は、酸素マスクの奥から「ヘイ」といった。
みんなを笑わせた。
「グッド イングリッシュ!」先生に褒められた。

冗談言ってみんなを笑わせるのが大好きだった。

放課後、
みんなでウノ大会をした。
今までなかなか勝てなかったんだ。
今度は勝つぞ。
もう手が動かせなかったから、
私がカードを持ったが、
何を出すかはしっかり私に指示した。
それで、7人くらいいたメンバーの中で
彼が優勝した。
2回も。

夕方、病室に戻ったが、お雛様を見たいと彼は言った。
病室に戻る前に
プレイルームに連れて行った。
つぶらな目で、お雛様をじっと見ていた。
「さあ、疲れるから病室に戻ろうか」
私が言うと、彼は泣きそうになった。
「本、読んで」とせがむ。
プレイルームにあった絵本を何冊か読み聞かせた。
「手を握って」と泣きそうにせがむ。
じっと手を握った。

ひな2.JPG


生きて生きて生き抜いた夜



夕食。
いつもと違うごちそう。
これまで、食べたいのに食べられなかった
彼の大好きなマグロのおつくりが出た。
うれしそうに口に運ぶ。
でも、すぐしんどくなってこれ以上食べられない。
食べたいのに食べられなくて、泣きそうだった。
こともあろうに、私は「もうこれくらいにしておこうか」と言ってしまった。
私の心ない一言で、ごちそうの時間が終わった。

ベッドの姿勢が、どんなに変えても苦しい。
ギャッチしたり寝かせたり。
「起こして」「ハイ、止めて」「寝かせて」
繰り返しギャッチの角度を変えた。

酸素マスクが外れそうになったら苦しくて、
ほっぺにぴったりくっつくように押さえた。
あざができるほど。

彼は、生きたいんだ。
何か月か前、まだ外に出られた時だ。
私は彼を教会に連れて行った。
静かな教会で
「なんでもいいから、祈ってみ」とわたしは言った。
きっと、何かのおもちゃやゲームを買ってほしいと祈るだろうと思っていた。
そう祈ったら買ってやろうと思っていた。
そうしたら、彼はこう祈った。

「生きられますように」

こんなに小さな子が、ここまで思っていたのか。
私は心を痛めた。

3月2日の深夜
彼は必至で呼吸した。
マラソン選手よりも、アスリートよりも、
必死で
命がけで呼吸した。

呼吸して、呼吸して
心臓を動かして、動かして、

ひな祭りの早朝
いつしか、モニターの波がツーっと平坦であることに気づいた時、
彼は息をしていなかった。

溺れるように生きて生きて、息をし続けた彼が。

その後のことはあまり覚えていない。
「6時5分。臨終を確認しました」
眉間にしわを寄せて悔しそうに言った主治医の声。
彼は、まるで溺れたように、必死で口を開けた表情だった。

「ウソだろう???」

涙を流すのを忘れていた私。
「奇跡の一つくらい起こってくれ!」

奇跡



奇跡は起こった。
命がよみがえったわけではない。

溺れるように苦しそうだった彼の表情が
気が付けば、
天使のようにかわいらしく微笑んでいたんだ。
彼が、いのちの終わった後に、私にくれた
最後のプレゼント。

本当にかわいらしい笑顔になっていた。
これを奇跡と言わずにどう表現するの?

命を、自分のいのちを
大切に大切に生きた彼への
神様からの表彰に違いない。

みんなに勇気と笑いを




彼は、ただ苦しかっただけの子じゃありませんでした。
折り紙が好きで、無菌室を作品のギャラリーにした。
もう余命1か月と言われていたころ、2回も開催できた折り紙展。
多くの人に勇気を運んだ。

ギャグが大好きで、ポケモンのロケット団のずっこけブリが大好きで
亡くなる前日も冗談を言って笑わせてくれた。

亡くなる3か月前の検査結果では、もう、歩けたり話せたりすること自体奇跡で、
普通の痛み止めでは無理だろうといわれていたが、
不思議に苦しみが少なく、痛みもなく
病室を渡り歩いて、ゲームボーイのケーブル対戦をした。
「こんな状況なのに、これは説明がつかない」と主治医。
この子が自分らしく過ごせるようにと、
わたしの祈りが聞き届けられた奇跡だったのかもしれない。

彼は、周りの多くの人に笑いをくれた。
勇気をくれた。
努力してそうしていたのじゃなく、
彼自身が勇気で、笑いだった。

だから私は今もみんなに言っている。
こうして、きみがいること、
いてくれること、これが愛だよと。



生きるってことは、愛だよ



彼は死んだのではない。
生きた。
生きて、生きて、
生き抜いた。

これまで、治療で苦しいことが何度もあった。
背骨や骨盤にものすごい激痛の走るルンバールとマルク。
生死の境を乗り越えた無菌室での骨髄移植。

でも
生きたくないと一度も思ったことがなかった。
生きたいと思い続けた。

彼を思うと、私は、苦しみを「苦しい」なんか言いたくない。
生きる命を、いのちいっぱい大切にしたい。
こころから、そう思う。

彼の前では、一切の偽りも、ごまかしも効かないんだ。

私は知っている。
天国は実在する。
それは天の高くにあるのではない。
私たちのこの空間に重なって存在している。
天国、すなわち、永遠の喜びの生は
生きて、生きて、いのちを大切に生きた
そのいのちの延長にある。

この文章を読んでくれた人たちよ、
自分のいのちを
これからも
大切に、大切に、
スープの一滴までなめ回すように生きてくれ。
私からのお願いだ。
生きるってことは、愛だよ。

ひな3.JPG


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