SSブログ

福者になった戦国のキリシタン大名 高山右近に寄せて~オカリナ演奏「主こそわが光」 [エッセイ一般]

スポンサードリンク




去年の2月7日、戦国のキリシタン大名 高山右近の列福式が
大阪城ホールでありました。
没後約400年を経て、
現代にローマによって「福者」に認定されたキリシタン大名
ユスト高山右近です。

主こそわが光1.jpg



高山右近は、教えのために命を捧げた「殉教者」として、
福者の列に加えられたのですが、
この現代的意味は大変大きいと私は思っています。
なぜなら、高山右近は、長崎の26聖人のように処刑されたわけではなく、
追放されても生き抜いて、自分の命も家族・臣下たちの命も大切にして、
国外追放先のマニラで63歳の寿命を全うしているからです。
ではなぜ、「殉教者」と認められたのか?
それは、「殉教」というものが、処刑されたりするものという意味ではなく、

「命をかけて真剣に生きる」

ということを意味するからだと思うのです。

どんな境遇にあっても守るべきものを守り抜いた高山右近の生涯が
「殉教」に値すると、ローマが認めたのです。
これは
キリシタンということよりもさらに一般的に
私たちの現代に照らして考えてみると

「自分が大切に思うものを
大切に守って、命を大切に生き抜く」


ということを象徴しているとおもうのです。
現代社会において私たちは、いろいろな先行きの不安を抱えています。
高齢化、貧困、病気、認知症・・・
しかし、どんな姿になっても
このいのち
生きて
生きて
そして
自分に誠実に生き抜く。
大切に大切に、大切に生き抜く。
これこそが、大切なことじゃないかと

高山右近はおしえてくれると思います。
私がかねがねメッセージしてきた
「生きるってことは、愛だよ」
「どんな姿になっていても、
どんなにボロボロの境遇になっていても、
生きてるじゃないか。
こうしていま 君は生きてるじゃないか
それほど大きな愛はないんだってことに
そろそろ気付きなよ」
このメッセージに、より一層の確信が持てたと私は強く感じました。

この日の喜びをオカリナで表現したいと思い、
高山右近の列福に寄せて作曲された歌「主こそわが光」を
オカリナで多重奏しました。
演奏動画はこちらのYoutubeです。↓
https://youtu.be/Fnc3bKT6ufo

主こそわが光9.jpg

使ったオカリナは
あのジャズで爆発の明田川先生の工房で作られているアケタオカリナと
南大阪でオカリナを作られている板東さんの作品
颯オカリナです。


高山右近は「福者」として列せられましたが、
「聖人」となるべき人だと思っています。
もうすでに、高山右近の列聖に向けての祈りが始まっています。


主こそわが光1.jpg


スポンサードリンク



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。