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「わたしは いま ここに いる。」 [癒しのエッセイ]

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オカリナぽーるです。

私は今まで
「誰かの役に立つこと」を人生の目標にしてきたし、

「人より努力して
より役に立つ人間になること」
を生きがいにしてきました。


しかし、
努力が報われず
何の役にも立たないと人から言われた時
私は今までなんのために努力してきたんだろうか・・・

そのことを想像すると怖くて・・・


そんなとき
ある日オカリナ演奏で訪れた特別養護老人ホームで
あるご婦人がこんなことをおっしゃりました。


「ここにいても、

いるんやな。

いるんやな。」

この言葉の中に
「いる」ことの意味が深く含まれていると気づかされました。


このご婦人は
これまでできていたいろいろなことが
できなくなり、

「特別養護老人ホーム」に入所してからは
世話をしてもらうばかりの生活になり
きっと自分の中で
こうつぶやいていた毎日だったと思います。
「なぜ生きる? 生きていたくない? 
いつまで生きなければならないのだろう?
そう思ってしまう。」


そんなご婦人が言われた一言
「わたしは
いる。」

この言葉には衝撃を受けました。



オカリナ演奏の席で
うつむいておられたこのご婦人に、

演奏を中断して少し話してみると
こう言われます。

「だあれもうちのこと、会いたがらへん。
 うちがいても喜んでくれる人、
 だあれもおらへん。
 生きていてもしょうがないけど・・・・
 ここでお世話になって・・・
 寿命が来たら静かにあっちに行くわ・・・」

よくお話を聞くと

若いころは、地域のために多くの働きをしてこられた方でした。
「認知症」になり
特別養護老人ホームにに入所して、家族の面会もほとんどなくなりました。

「面白くないんですか?」

「そうやな・・・おもろない・・・・」


はたして
「誰かに必要とされているかどうか」
が生きる面白さなのかどうか?
考えました。



私事ですが、
私は幼いころから
「勉強して、立派な仕事について、世の中に役に立つ者になれ」
といわれ続けながら成長しました。
そして
大人になって、ふたを開けてみれば
世の中の役に立つどころか、人に迷惑をかけるばかり。
私の目標は
「世の中に役に立つ」のではなく
「少なくとも人に迷惑をかけない」
になってきました。

しかし
どうしても人に迷惑をかけざるを得ない状況にもなりました。
どうしようか・・・・

しかし
この老人ホームでオカリナを吹いた日、
何かが吹っ切れました。


オカリナとともに心行くまで合唱して
「ここにいても、
いるんやな。
いるんやな。」
と笑顔で言われた
先ほどのご婦人のお言葉です。

これまで私が、自分の価値として思っていたこと
「必要とされている」
「役に立つ」
「何かができる」
「何かの価値を生み出すことができる」
「人に迷惑をかけずに暮らせる」

それが本当に自分の価値なのか?
人の価値なのか?

赤ちゃんはどうでしょう?
何ができる? 
笑ったり泣いたりできますが、
働いてお金を稼げるでしょうか?

本当の価値は
「何かができる」「何かの役に立つ」「必要とされている」
のではなくて
そこにいること自体
本当の 
絶対に否定されることのありえない
価値だっていう
そんなあたりまえのことにさえ気づけなかった
そんな私が恥ずかしく思えました。

ご婦人が言われた
「いるんやな」
という意味。

それは
「わたしが 
いま
ここに
いること自体
本当に
大切で 価値のあることです。」
ということだったんですね。


このことに気づくのと気づかないのとで
生き方が変わります。

すごす時間の「質」が変わります。


時間の質が変わる関わらないかで
人生が変わります。

次回に続きます。



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