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「あなたはだれかの役に立っていますか?」と聞かれたら・・・ [癒しのエッセイ]

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オカリナぽーるです。

ある老人ホームの方がおっしゃった言葉

「ここにいても、

いるんやな。

いるんやな。」


この言葉からいただいた気付きの続きをお話します。



もし

「あなたはどうしてここにいますか?」

「あなたは何を目標に生きていますか?」

「あなたは何のために毎日働いて生きているんですか?」

こう突然聞かれると

どう言う答えを

とっさに言えるでしょうか?




「家族を守るため」

「人の役に立つため」

「社会に、価値を届けるため」


私ならこう言ってしまうかもしれません。


「他にありませんか?」



こう聴かれても

「うーん・・・・」

と考えて、答えが出てこないと思います。




なぜこんなことになるのでしょうか?



私が生まれたころは、ベビーブームでした。
そのころは、経済は成長して
外国に追いつけ追い越せの勢いでした。

そのころ
私を囲む大人の多くは
競争に勝つことばかりを考えている人が多かったような気がします。



学校でも家庭でも
「人よりも優れていること」が求められていて
優れていたら
「よかったね」とほめられて
優れていなかったら
「がんばれ」と励まされる日々だったと思います。


もちろん
学校でも点数順位を発表されて、比べられていたし、
模擬テストを受けるたびに
「偏差値」という数字を見せられて
「頑張れ、頑張れ」と言われていたんですが


困ったことに

まわりの大人に比べられるだけではなくて
自分自身が
自分を比べたり品定めしていたことに気づかされます。


私自身が、自分を誰かと比べ、
誰かより勝っていたら自分が必要とされていると喜び、

誰かより劣っていたら、
自分は必要とされていないと落ち込むか、
必要とされる自分になるように頑張るか、

そう言う思考パターンになっていたんですよ。

そしてそのパターンで
「誰かに負けない」という行動を
無意識のうちに取って来たことが多かったんですね。


(もちろんこれは、あくまでも私の雑感であり、
全ての人がこれに当てはまることでは決してありません)



さて、
そう思い込んでいた私が

勝ちパターンのころはトントン拍子で
「よし、次は、少し先を行くアイツに追いつき追い越すぞ」
とがんばれるんですが、

いつか
誰かに必要とされていないと感じたら
(自分自身が誰かの重荷になっていると感じたら)

生きる希望や生きる意欲をなくしていくんでしょうか?


そう思うと、この先の自分が怖くなってきました。



本当にこわくなってきました。


この怖い気持ちにどう向き合って行ったらいいんでしょうか?



次回はこのことについてさらに踏み込んでみます。



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